聖霊が信仰者のうちに“自制心”をもたらす方法は、私たちの魂に対して、キリストの麗しさを、この上なくすばらしく、この上なく満ち足りた姿で啓示することによってです。
~ジョン・パイパー~
【解説】 さすがはジョン・パイパー、鋭く、また深い洞察ですね。ご存じのように、”自制”は、聖化の過程で、み霊のもたらす実の一つですが、パイパーは、み霊がその実を私たちのうちに“どのように”もたらされるのかを考察します。そして私たちに、それは私たちの魂に対する直接的な働きかけや、鍛錬によるものではなくて、“至高の”(原語は上記で“この上なく”と訳したsupremely)模範を指し示すことによってなのだと気づかせてくれます。まさに“聖なるオブジェクトレッスン”です。「キリストの麗しさ」――聖書の中に日々それを見いだし、そのみかたちが我がうちに少しでも成るようにと祈りつつ、仰ぎ求めていくとき、生けるキリストのみ霊が、その業を成してくださるというのです。自制心のかけらもない“怒りの人”である私のうちに、“キリストの自制(self-control)”が生み出され、生涯かけて培われていくのです。それは、人としての思いを血の汗をもって克服し、私たち全てを滅びから救わんとするみ父のご意志に従って、ゴルゴタへの道を歩まれた、“愛の自制”でした。「この道を歩め」と言われる主のみ声が、今、あなたにも聴こえるでしょうか?
(ガラテヤ5:22,23)「御霊の実は、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制です。」
The way the Spirit produces self-control in the believer is by revealing the beauties of Christ to our souls as supremely beautiful and supremely satisfying."
--John Piper
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