◆”敵”のために祈るとき◆

イエス様がそうしなさいと命じられているゆえに、“敵”のために祈るときでさえ、私たちは、彼らの代わりに祈るその祈りによって、祝福のうちに祈り終えることができるのです。

 

【解説】 本当に、”敵”のために祈ることほど、苦しいことはありませんね。時には悲しさと悔しさで涙と鼻水が混じることもあります。でも、祈るのです。主のご命令ですから。けれども本当に不思議なことに、祈り終えるときには、神様の祝福と平安に包まれます。それは、”彼らの代わりに”祈る、つまり本来その”敵”である人が祈るべき祈りを、代わって主にとりなすからです。そしてそれをお聴きくださった全能なるお方は、その人のうちにも必ず働いてくださると信じて、100パーセント委ねることができるからです。これが本当にできたとき、あなたはかつてなく、主の懐深くにいるご自分を見いだすでしょう。あなたもまた、その時、確かに心の中で、主と共に「父よ。彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分でわからないのです。」(ルカ2334)と祈ったのですから――。

 

(マタイ5:43-45 「『自分の隣人を愛し、自分の敵を憎め』と言われたのを、あなたがたは聞いています。しかし、わたしはあなたがたに言います。自分の敵を愛し、迫害する者のために祈りなさい。それでこそ、天におられるあなたがたの父の子どもになれるのです。」

 

Even when we pray for our enemies, as we were commanded by Jesus to do, we end up being blessed by the prayers we pray on their behalf.