◆説教と聖霊◆

The nineteenth-century London Baptist preacher CH Spurgeon entered his pulpit repeating on every step, ‘I believe in the Holy Spirit’.(David Smith)

 19世紀のロンドンのバプティスト教会の牧師、CH・スポルジョンは、説教のとき、一歩ごとに「私は聖霊を信じる」と唱えながら講壇に向かった。(デイヴィッド・スミス)

 彼は、説教のたびごとに、全身全霊をみ霊のお取り扱いの中に委ねたのですね。これが、み言葉に仕え、み言葉を人々に分かつ者の姿です。

 ペテロもそうでした。彼が、まだこのみ霊を知らない異邦人コルネリオの前で、福音を大胆に語った時のことを、聖書はこう記しています。

 【使徒10:44 ペテロがなおもこれらのことばを話し続けているとき、みことばに耳を傾けていたすべての人々に、聖霊がお下りになった。

 み言葉を語る者が、み霊によって語るとき、聴く者もまた、み霊に満たされるのです。このような礼拝を主にささげられるように、主の日の前には、立てられた器のために、また聴く自分が整えられるように、祈りましょう。