2016年

11月

04日

◆”意志する”神◆

神は、“私はする”の神である。

~ラインハード・ボンク~

 

【解説】 面白い、ユニークな、でも心に残る神様の定義ですね。原文は、ご覧のよう“I Will”God「アイ・ウィルの神」。この大文字のWillは神様の強い意志を表しますから、心にひとたび思われたことは、必ず成し遂げられるということです。そしてその心に思われること、なされることは、ことごとく最善ですから、これは神様だけがお持ちになる“絶対意志”と言っていいと思います。そしてこの定義を読むと、私たちは、神様ご自身が言われ、聖書に記されたもう一つの定義を思い出します。
(出エジプト記3:14) 「わたしは、『わたしはある』という者である。」
(Exodus 3:14 NIV) “I am who I am.”
この二つの定義は、いわばペア(対)をなすものです。絶対的に存在し(在る)、絶対的に意志なさる(する)神、このお方が、私たちが信じ、この世のどんな状況の中でも、信頼しまつる神様なのです。

 

He is the “I Will” God.
-Reinhard Bonnke-

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2016年

7月

05日

◆こんな者でもよかったら◆

 

完全な神様が、不完全な人間の協力を探し求めておられるのです。

 

~ラインハード・ボンク~

 

 

 

【解説:詩一編】 

 

―我、ここにあり―

 

 

 

畏れ多し。

 

かかる小さき者に“福音”を委ねられしや?

 

かたじけなし。

 

このむさき身をも

 

御身の愛を伝うる道に召したまいしとは?

 

 

 

さはれ

 

欠けたるところ一つだになき御身にして

 

“神の国づくり”のみ業に

 

かくも欠け多き者、なお入り用とあらば

 

この命、取りたまえ。

 

 

 

A perfect God seeks the cooperation of imperfect people.”

 

Reinhard Bonnke

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2015年

12月

28日

◆神の要員リストに”座り人”なし◆

 

神様は、どんなときでも、”働き人”と共に働き、”動く人”と共に動きますが、“座り人”と共に座ってはくれません。

 

~ラインハード・ボンク~

 

 

 

【解説】 思わず腰を浮かせかけませんでしたか? この”動く人”は、転じて常に進歩発展を心がけている人、“座り人”は、文字どおり何もしない人、新しいことにチャレンジしない人です。聖書の例えで言うなら、主人から1ミナを預かって、地中に隠しておいた人ですね。胸に覚えのある人は、主のお叱りを受けないうちに、「えいやっ」と立ち上がらないと…。

 

 

 

God always works with workers and moves with movers, but He does not sit with sitters.

 

-Reinhard Bonnke-

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2015年

11月

22日

◆死線での祈り◆

神様は祈りにお応えになります。死線に立たされるたびに、このお方は“命綱”を投げてくださるのです。信じ続けて、祝福を手になさい。

~ラインハード・ボンク~

 

【解説】 原文では、deadline デッドライン(死線)とlifelineライフライン〈生命線〉が韻を踏み、対になっています。もともと”死線”というのは、刑務所の敷地内に敷かれた最後の一線で、そこを一歩でも越えると、文字通り見張り人に即銃殺される死のラインでした。そのような人生の生きるか死ぬかの瀬戸際で、信じて祈り続ける者に、神様は必ず脱出の道を備えてくださいます。八方ふさがりのあなたの目の前に、“上から”、助けの手を差し伸べてくださるのです。時には、全く思いもよらない方法で――。

 

God answers prayer. For every deadline He will throw you a lifeline. Keep believing and be blessed!

-Reinhard Bonnke-

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2015年

10月

27日

◆よき信仰者であるための5つのカギ◆


  1. ”信仰”は、光に向かってのジャンプ〈跳躍〉であって、暗闇に向かってのステップ〈歩み〉ではありません。

  2. ”神様のために”という“目標”を持って前進しなさい。そうすれば、それを完成させるための“手段”は付いてきます。

  3. イエスさまは言われました。「あなたは力を受けます」と。(訳注: 使徒の働き1:8) 主が言われたからには、それは必ずそうなるのです。

  4. イエス様は、”人の子”としてどう生きるべきかを示されました。それによって、私たちが“神の子どもたち”としてどう生きるかを知るようになるためです。

  5. 神様にとって、“名もない人”など、誰一人いません。一人一人の個人は、まさに”超計測”、計り知れない価値を持っているのです。
    ~ラインハルド・ボンク~

 

  1. Faith is a leap into the light, not a step into the darkness.

  2. Go for the purposes of God, and the means to fulfill them will follow.

  3. Jesus said, You shall receive power. He said it, and it must happen.

  4. Jesus showed us how he lived as the Son of Man so that we would know how to live as the children of God.

"To God, nobody is a nobody. Each individual has a value beyond computation."
-Reinhard Bonnk-


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2015年

10月

21日

◆祈りは”霊的送電線”◆

“信仰”は、”送電線(パワーライン)”です。しかし、それにスイッチを入れるのは、“祈り”なのです。

~ラインハルド・ボンク~


【解説】 “ライフライン”という言葉が最近、よく使われますね。もともとは救命索、命綱のことですが、転じて死活に関わる生命線、唯一の頼り、頼みの綱、という比喩的な意味でも用いられます。テレビの「ライフライン」も、この生命線としての福音を伝えるという意味で命名されたのでしょう。それに対し、こちらは”パワーライン”です。電気がなければ、人間社会は成り立ちません。世界が暗黒に閉じ込められるのみか、交通機関は動かず、通信手段も途絶え、病院はたちまち死人の山となります。その意味では、ライフラインに通じますが、信仰の世界のパワーラインは、神様から、霊的に生きる力、み霊の力を送っていただく”霊的送電線”とも言うべき「信仰」を指します。でも送電線のおおもとの変電所のスイッチが入らない限り、電流は流れないのと同じように、霊的送電線も、そのままでは神様の力は流れてきません。それを可能にするスイッチが“祈り”だというのです。「絶えず祈る」(Ⅰテサロニケ517)ことがどんなに大切か、お分かりいただけるでしょうか?


Faith is the power line, but prayer switches it on.

-Reinhard Bonnke-


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2015年

10月

19日

◆ボンク、聖霊について語る◆

  1. 聖霊が私に言われました。「あなたの口にある私の言葉は、私の口から出る私の言葉と同じように力があるのだ」と。力は、“神のみ言葉”にあるのです。
    【解説】 聖書の言葉=神の言葉は、神父が語るから権威があるのではありません。牧師が話すから人が救われるのではありません。救われたばかりのあなたが話しても、人前で話すのが苦手なあなたが思い切って、たどたどしく語っても、魂の琴線に触れることができます。人を生かし、人を救う力は、「神のみ言葉」そのものにあります。それをご自身の口から語られ、聖書に記されたご聖霊は、それを語るあなたをも用いて、ご自身の救いのみ業をなさるのです。
    (イザヤ 55:11 「そのように、わたしの口から出るわたしのことばも、むなしく、わたしのところに帰っては来ない。必ず、わたしの望む事を成し遂げ、わたしの言い送った事を成功させる。」

  2. 聖書は、ビンに詰めた空気に関しては、何も知りません。語るのは”動く風”についてだけです。聖書は、“行動する聖霊”、“ご自身を顕(あらわ)す聖霊”以外の聖霊については沈黙を守ります。
    【訳注】 (ヨハネ 3:8 「風はその思いのままに吹き、あなたはその音を聞くが、それがどこから来てどこへ行くかを知らない。御霊によって生まれる者もみな、そのとおりです。」
    (使徒2:2-4 「すると突然、天から、激しい風が吹いて来るような響きが起こり、彼らのいた家全体に響き渡った。 また、炎のような分かれた舌が現れて、ひとりひとりの上にとどまった。すると、みなが聖霊に満たされ、御霊が話させてくださるとおりに、他国のことばで話しだした。」

  3. 聖霊は、“癒やす霊”です。聖霊がご臨在くださるとき、どんなことも可能になるのです。

     

    ~ラインハルド・ボンク~

 

  1. Holy Spirit told me, My word in your mouth is just as powerful as My Word in My Mouth. The power is in the Word of God.

  2. The Bible knows nothing about air in a jar, only wind in motion. It knows nothing about the Holy Spirit except in action, in manifestation.

  3. "The Holy Spirit is a healing spirit. When the Holy Spirit is present, anything is possible."
    Reinhard Bonnke-


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2015年

7月

27日

◆み言葉に力あり◆

聖霊は私に語られました。「あなたの口にある私の言葉は、私の口にある私の言葉と同じように力がある。」力は、“神の言葉”そのものにあるのです。

~ラインハード・ボンク~

 

(ヘブル 4:12「神のことばは生きていて、力があり、両刃の剣よりも鋭く、たましいと霊、関節と骨髄の分かれ目さえも刺し通し、心のいろいろな考えやはかりごとを判別することができます。」

 

"For the word of God is living and powerful, and sharper than any two-edged sword" (Heb. 4:12).


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2015年

7月

27日

◆称賛にご用心◆

人々の称賛を受けないようにしなさい。そうすれば、彼らの批判に潰されることもありません。

~ラインハード・ボンク~

 

Don’t be accept the applause of men, and you won’t be destroyed by their criticism.

-Reinhard Bonnke-

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2015年

7月

27日

◆聖霊は待っていた◆

聖霊は水の表を動いていましたが、父なる神が言葉を発するまでは、何もなさいませんでした。聖霊は、“み言葉”を待っていたのです。

~ラインハード・ボンク~

 

"The Holy Spirit hovered over the face of the waters, but did nothing until God spoke; He waits for the Word"

 -- Reinhard Bonnke

 

【解説】 この創世記11節の短い考察は、示唆に富んでいますね。天地の創造には、父、子、聖霊の三位一体の神様が関わられました。文脈から、聖霊は、父なる神のご命令を実行されたと思われますが、み父と対等の位格を持たれる聖霊でさえ、み父の「○○よ、あれ」のみ言葉をじっと待ち、そのみ言葉に従って創造のみ業を成されたというのです。だとするなら、ましてや私たち被造物もまた、大きな業も、どんなに小さな業も、み言葉に聴き、それが与えられるまで待つべきなのですね。“急いては神の業をし損じる”のです。


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2015年

2月

09日

◆神様との距離はあなたの祈りによって変わります◆

 「祈り」は、人間の考え出したものではありません。私たちがそれに気づいていようといまいと、私たちが「祈る」ように、神様が与えられたものです。神様が私たちに近づいてくださるので、私たちも神様に近づけるのです。主はエゼキエルに言われました。「立ち上がれ。わたしがあなたに語るから。」(エゼキエル2:12)主導権を取られるのは、いつでも主ご自身です。祈りは、私たちが電話で話すように、ただ神様に話しかけるということよりはるかに大切です。神様と私たちの間に交わされるのは、言葉だけではありません。私たちが祈る時、“何か”が起こるのです。祈りの中で、私たちは“天国の空気”を吸います。それは、私たちの信仰の血管の中に、“聖なる酸素”を送り込み、神の働き人にエネルギーを与えます。“何か”が、神様を切に求めさせるのです。私たちは神様の“協働者”になり、神様は私たちの“協働者”になってくださいます。神様は、み言葉を持って、私たちの“行程表”を照らし出してくださり、進むべき方向と、目的地を教えてくださるのです。あなたは今日、祈りましたか? 神様の祝福がありますように。(ラインホルド・ボンク)

 

God is just a prayer away.

Prayer is not a human idea. God hasput it into us to do so, whether we realize it or not. He comes to us so we can come to Him. The Lord said to Ezekiel(2:1-2) 2Stand up on your feet and I will speak to you”. The Lord always takes initiative. Prayer is much more than just talking to God, as if we were on an telephone. What passes between God and us is not just words. Something happens when we pray. In prayer we breathe the air of heaven. It brings divine oxygen to the bloodstream of faith and energized workers with God. something agets us going for God. We collaborate with Him and He collaborates with us. He lights up a route plan in His Work gibing us diretionand destination. Prayed today? God bles you.

~Reinhard Bonnke.

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