2017年

8月

26日

◆自分の肩か、主の肩か◆

あなたの“罪”が、あなたの背中か、イエス様の背中か、いずれかに負われるとする。もしあなたの背に負われるなら、あなたは“失われた者”となる。もしそれが、キリストのうちに荷を下ろしたら、あなたは“自由”である。さあ、どちらがいいか、選ぶがよい。

―マルティン・ルター

 

【申命記30:19】 私は、きょう、あなたがたに対して天と地とを、証人に立てる。私は、いのちと死、祝福とのろいを、あなたの前に置く。あなたはいのちを選びなさい。

 

【解説】あのいかめしいルターの顔を思い浮かべると、この火のような“迫りの言葉”が迫ってきますね。それにふさわしく、この絵の印象的なこと! 分かれ道に立つ子ども。目の前の道は二つ、左は楽園、右は、紅蓮の煙の立ち込める墓場ですよ。これが、神様の目からご覧になる人間世界のリアリティーなのです。気を引き締めて、ご家族に、友人に、救いの福音をあかししましょう。遅すぎないうちに――。

 

"Either sin is with you, lying on your shoulders, or it is lying on Christ ... now if it is lying on your back, you are lost; but if it is resting on Christ, you are free ... now choose what you want."

~ Martin Luther

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2016年

11月

22日

◆救いはゴルゴタのみにあり◆

救いが、我らの外にあるということを信じるのは、すばらしい知らせではないだろうか?

~マルティン・ルター~

 

【解説】 律法学者やパリサイ派の人々は、神の律法を細部まで守るという、人には決してなしえないことで神の誉れを受けようと考え、悪しき律法主義のかせを人々にはめて苦しめました。その彼らに対し、“業によらず、ただ信じることによって救われる”と説き、あのゴルゴタの十字架で身代わりに命を捨てて、人々の心にある罪の縄目を解き放ってくださったのが、イエス様の福音でした。しかしキリスト教の歴史の中で、いつしか無代価の救いの喜びの福音は、再び中世のローマカトリックの人間的権威の中に、その命を失っていきました。商売人たちは、権力の庇護を求めて財による救済を図り、聖職者たちは権力の座を目指して功徳を積むために、自らのうちに業(修行)による救いを求めました。ルターもその一人だったのです。その彼が、教皇庁の石段を、一段一段、すりむけた膝で登る苦行をしていた時に、忽然として心に響いてきたのが、「義人は信仰によって生きる」(ハバクク2:4、ローマ1:17)という神の声でした。彼は、自分の業のうちに救いはつゆだになく、それはあのキリストの十字架と復活を信じる信仰のみにあると、全身が震えるような感動の中で悟ったのです。
これは、その彼の言葉です。“救い”は、私たちの内には――自らの学力にも、地位にも、家柄にも(たとえ牧師の家に生まれても)、財力にも、そしてどのように善き業を施しても、どこを探し求めてもありません。救いは、“外”に、あのゴルゴタの十字架の主を仰ぐことの中にのみある。それが、まことの”すばらしい知らせ”、福音なのです。

 

Is it not wonderful news to believe that salvation lies outside ourselves?
-Martin Luther-

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2016年

11月

07日

◆祈らずして信仰者を名乗るなかれ◆

祈らないでクリスチャンであろうとするのは、息をしないで生きていようとするの同じように、不可能なことです。

 

【文語訳】
祈らずしてキリスト者たらんとするは、呼吸せずして生きんとするに等しく、これ不可なり。

 

~マルティン・ルター~

 

“To be a Christian without prayer is no more possible than to be alive without breathing.” —Martin Luther

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2015年

12月

27日

◆ただ神に預けしもの、我が手にあり◆

 

私は多くのものをこの手につかんでいようとしたが、失った。神のみ手の中に置いたものだけを、私は今も持っている。

 

~マルティン・ルター~

 

 

 

"Many things I have tried to grasp, and have lost. That which I have placed in God's hands I still have."

 

Martin Luther

 

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2015年

10月

19日

◆ルターの祈り◆

私が、

ただこの口先だけで祈るのではなく、

私の心の奥底から祈ることができますよう、

この祈りを受け入れたまえ。


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2015年

9月

14日

◆み手に委ねたものだけが◆

私はこの手に多くのものを持っていたが、それら全てを失ってしまった。だが、神のみ手にお委ねしたものは、何であれ、いまだに所有している。

~マルティン・ルター~

 

(マタイ 10:39「自分のいのちを自分のものとした者はそれを失い、わたしのために自分のいのちを失った者は、それを自分のものとします。」

 

I have held many things in my hands, & have lost them all; but whatever I have placed in God’s hands, that I still possess.Martin Luther-

"He who finds his life will lose it, and he who loses his life for My sake will find it" (Mt. 10:39).


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