2017年

5月

30日

◆祈りにおける沈黙は無為か?◆

沈黙しているのは、怠惰に何もせずにいることではない。

むしろそれは、神のみ心のうちに呼吸していることを意味する。

それは、心を集中してみ声に聴き入り、服従への備えをしていることなのだ。

~ディートリッヒ・ボンヘッファー~

 

To be silent does not mean to be inactive: Rather it means to breathe

in the will of God. To listen attentively and be ready to obey.

-Detrich Bonhoeffer-

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2016年

7月

26日

◆見えない恵みに気づいてますか?◆

 

普段の生活の中で、私たちはほとんど気づいていない。

 

―私たちは、与えているものよりも、はるかに多くのものを与えられていることを。

 

―そして、人生が豊かになるのは、感謝の心を持って生きるときだけなのだということを。

 

 

 

~ディートリッヒ・ボンヘッファー~

 

 

 

【解説】 再びボンヘッファーです。このような彼の言葉を読むと、私はあの獄中のパウロの言葉を思い出します。

 

(ピリピ 4:11-13 「乏しいからこう言うのではありません。私は、どんな境遇にあっても満ち足りることを学びました。私は、貧しさの中にいる道も知っており、豊かさの中にいる道も知っています。また、飽くことにも飢えることにも、富むことにも乏しいことにも、あらゆる境遇に対処する秘訣を心得ています。私は、私を強くしてくださる方によって、どんなことでもできるのです。」

 

パウロにとっては、あの冷たい獄屋が、キリストと共なる天国でした。ボンヘッファーにとっても、あの悪名高いプリンツ・アルブレヒト通り(ゲシュタポ本部があった)のフロッセンビュルク強制収容所の独房の2年間は、余人が長い生涯をかけて究めてゆく福音神学を、日々のキリストとの生ける交わりの中で、このわずかの年月に凝縮させて、完成の域に深めていった、“地上の天国”だったのではないでしょうか。

 

私は改めて、文字どおり“普通の人”である私たちが、何十年もの要らざる葛藤と苦しみの果てにやっとつかめるかもしれないこの人生の真理を、彼のペンによって残させてくださり、死後半世紀上たった今も、私たちを括目させてくださる主に、熱い感動をもって感謝をささげる者の一人です。

 

 

 

In ordinary life

 

 we hardly realize

 

 that we receive a great deal

 

 more than we give,

 

 and that it is only

 

 with gratitude that life

 

 becomes rich.

 

~DIETRICH BONHOEFFER~

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2016年

7月

15日

◆私たちがキリストを目指せるわけ◆

 

人がキリストのようになれるのは、ひとえに彼が私たちのようになられたゆえである。

 

 

 

~ディートリッヒ・ボンヘッファー~

 

 

 

【解説】 短い一節ですが、ここにも、わずか38年の生涯で、神のみ子イエス・キリストを中心に据えて、神と人との関わりを極みまで追求したボンヘッファー神学の片りんが見られます。私たちのキリスト教は、己の救いの完成を求めて、すなわちキリストの似姿に限りなく近づくことを求めて、切磋琢磨するという点では、他の宗教と似るところはあるでしょう。けれども、あまたの宗教と明確な一線を画するのは、それが可能になるために、”神が人となって我らの間に住まわれた”という、驚くべき“受肉”の事実があったということです(ヨハネ114)。この大いなる“神の愛の出来事”の意味に、今ひとたび私たちも、ボンヘッファーと共に思いを馳せ、神様に感謝しなければなりません。

 

 

 

It is only because He became like us that we can become like Him.

 

Dietrich Bonhoeffer

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2016年

5月

26日

◆神は理想論者にあらず◆

 

神は、ある理想的な人間を愛されるのではなく、“人間”を愛される。

 

ある理想的な世界を愛されるのではなく、“現実の世界”を愛されるのだ。

 

~ディートリッヒ・ボンヘッファー~

 

 

 

God doe not love some ideal person, but rather human beings just as we are, not some ideal world, but rather the real world.

 

-Dietrich Bonhoeffer-

 

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2015年

7月

07日

◆兄弟の前で罪を告白する◆

信仰の兄弟の前で自分の罪を告白する人は、もはや自分だけの独りぼっちではないことを知ります。彼は、目の前の他者の存在の中に、神の臨在を体験するのです。私に関する限り、自分の罪を独りで告白しても、その全ては暗闇の中に残されたままですが、兄弟の前で告白された罪は、光の中に引き出されずにはおきません。

(ディートリッヒ・ボンヘッファー「共に生きる生活」より)

 

【解説】ここにも、“本当の友”の姿があります。友は、心に罪を抱えて人知れず悩む人の、癒やしのためにもあるのですね。

(ヤコ5:16)「ですから、あなたがたは、互いに罪を言い表し、互いのために祈りなさい。いやされるためです。義人の祈りは働くと、大きな力があります。」

ボンヘッファーは、第2次大戦中のドイツの牧師。ヒトラーに抵抗して捕らえられ、獄中で深い思索に満ちた神学書を著した。「共に生きる生活」もその一冊。ドイツ敗戦のわずか1か月前、刑死。


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