2019年

1月

03日

◆♬やがて天にて◆

天において、私たちを

この上もなく幸せにしてくれるものは何であろうか?

それは、より豊かな神の知識であろう。

その時には、今の時よりもはるかによく、

このお方について知ることになるのだ。

~ジョージ・ミュラー~

【解説】 19世紀のイギリスで、孤児院を創設し、65年の生涯で、一日たりとも政府や公機関の手を借りることなく、ただ祈りのみによって神の助けを頂いて、400人の孤児たちの世話をしたミュラーの言葉です。ある意味、彼ほど地上において神を知っていた人はないと言えるかもしれません。彼は見えないお方を毎日その目に見るかのごとく、ただ神とのみ語り、神のなさる最善に全てを委ねたからです。彼のなした全ての奇跡の業は、ご自身に対するこの絶対信頼への、神の応答だったのです。その彼にして、この言葉です。裏を返して読めば、「地上で私たちが神について知りうることは、ほんの一部にしかすぎない」と言うのです。神の全知、全能、遍在、予知、愛、あわれみ、義、善、摂理…その全てにおいて、神のなさることは、私たちの理解を超えています。だから、時として、私たちは、この身に起こることに怒ったり、嘆き悲しんだりもしますが、時が来れば、神が全てをコントロールなさり、全てを働かせて益としてくださったことを知るのです。それでも中には、この地上では分からないままに終わることもありますが、それは、かの天において、神様が直接に明らかにしてくださるでしょう。その時、私たちは、膝をかがめて、ただただこの大いなるお方を褒めたたえることでしょう。その時まで、私たちは、限られた知識の中で、神の“最善”を信じて生きてまいりましょう。それが、私たちの“信仰”です。神様はそのために、ご自身を知る地上の知恵と知識の集大成としての“聖書”をお与えくださり、最高の模範としての生ける主、イエス・キリストを人としてお遣わしくださったのです。

(ヨブ42:3) 「知識もなくて、摂理をおおい隠す者は、だれか。まことに、私は、自分で悟りえないことを告げました。自分でも知りえない不思議を。」

(Ⅰコリント 13:12) 「今、私たちは鏡にぼんやり映るものを見ていますが、その時には顔と顔とを合わせて見ることになります。今、私は一部分しか知りませんが、その時には、私が完全に知られているのと同じように、私も完全に知ることになります。」

(Ⅱコリント 3:18) 「私たちはみな、顔のおおいを取りのけられて、鏡のように主の栄光を反映させながら、栄光から栄光へと、主と同じかたちに姿を変えられて行きます。これはまさに、御霊なる主の働きによるのです。」

 

What will make us so exceedingly happy in heaven? It will be the fuller knowledge of God, - we shall know Him then far better than we now do. – George Muller

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2017年

11月

06日

◆霧の中にある友へ◆

私の目は、霧の濃さに留められてはいない。

私の目は、私の人生の全ての局面をみ手に収めておられる

生ける神に注がれているのだ。

~ジョージ・ミュラー~

 

【解説】 深い霧の中を歩いたり、車で走ったことのある人はいますか? ほんとに怖いですよね? 今、“人生の道”に立ち込めた、深い霧の中にある人はいますか? 前方が全く見えない、手探り状態。歩いても歩いても、いつ晴れるともしれない五里霧中…。私は、この間も書きましたが、まさにその濃い霧の中で、“神の時”を待っています。闇のように深い霧に目を留めたら、心を襲うのは恐れ、不安、心細さ、さらには疑い、絶望感です。ちょうど、あの逆巻く波を見て水中に沈みかけたペテロのように。そのような時こそ、生ける主から目を離してはいけないのです! あの信仰の鉄人、ジョージ・ミュラーも、ある意味、“霧の中の人生”をたどりました。朝、目が覚めるたびに、深い霧の中にある自分に気づく人生を――。彼の助けを待っている何百人という孤児たちを養う糧が、何一つ残っていない朝が、毎日のように訪れたのですから。それでも彼は、そんな霧には目もくれませんでした。「主よ、あなたは今日も生きておられます。あなたは今日も、私の主、私の牧者です。今日の一日を、この子供たちの命ともども、あなたのみ手に委ねます。」と、ただ主のみ顔を仰いで祈ったのです。あなたも、この人生の、あらゆる状況を最善にコントロールしておられる、主にのみ霊の眼(まなこ)を据えて、一歩、一歩、進んでいくことです。「私だ。恐れないで」(マルコ6:50)と言われる主のみ手の中で、晴れない霧はないのだと信じて――。

 

"My eye is not on the density of the fog, but on the living God, who

controls every circumstance of my life.”

—George Mueller

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2017年

10月

25日

◆”試練学校”で学ぶもの◆

強い信仰を学ぶということは、大いなる試練に耐えるということです。 私は数々の厳しい試みのただなかに、しっかりと立つことによって、私の信仰を学んだのです。...~ジョージ・ミュラー~ (訳 小川政弘) (コロサイ2:6,7) 「あなたがたは、このように主キリスト・イエスを受け入れたのですから、彼にあって歩みなさい。キリストの中に根ざし、また建てられ、また、教えられたとおり信仰を堅くし、あふれるばかり感謝しなさい。」To learn strong faith is to endure great trials. I have learned my faith by standing firm amid severe testings. -George Mueller- Lord Jesus, help us to remain in You—rooted and grounded—built up and strengthened in the faith. (Col. 2:6-7)

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2016年

12月

27日

◆信仰のスタートラインはどこに?◆

人間の力で可能なところには、神の栄光が現れる余地はない。
”信仰”は、人の力が尽きたところから始まるのである。
~ジョージ・ミュラー~

 

“There is no glory for God in that which is humanly possible. Faith begins where man's power ends.” —George Müller

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2016年

11月

23日

◆そのトラブル、”信仰強化食品”です◆

神は、ご自身の子どもたちの信仰が増し加えられることをお喜びになります。
試練、障害、困難…、これらは、“信仰強化に必須の食べ物”なのです。
~ジョージ・ミュラー~

 

"God delights to increase the faith of His children…Trials, obstacles, difficulties...are the very food of faith." —George Müller

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2015年

11月

02日

◆ジョージ・ミュラーに聴く◆


  1. 試み、障害、困難、そして時には敗北は、まさしく“信仰の糧”である。

  2. ああ、天の父は、私に対し、いかに優しく、良きお方であられたことだろう! 私には何の痛みも苦しみもなく、リューマチも患っていない。93歳になった今、私は、孤児院に住みながら、自分自身に対して、この上ない気遣いと安らぎを覚えながら、その日の仕事をこなしているのだ。

 

~ジョージ・ミュラー~

 

  1. Trials, obstacles, difficulties & sometimes defeats are the very food of faith.

  2. Oh, how very kind and good my heavenly Father has been to me! I have no aches or pains, no rheumatism, and now in my ninety-third year I can do a day’s work at the orphan houses with as much care and comfort to myself as ever.

-George Mueller-


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2015年

10月

17日

◆しつこい祈りが大切なわけ◆

  1. 祈りを始めること、正しく祈ることが十分なのではなく、
    ある時間を祈り続けることもまた十分ではなく、
    私たちは、忍耐をもって祈る、信じて、応えを頂くまで、祈り続けなければならないのだ。
    ~ジョージ・ミュラー~

  2. “祈りにおける情熱”というのは、心から神様に固執し、四つに組むことです。それは、公の祈りの場で人々に見せる、あなたの祈り方の問題ではないのです。

  3. ”忍耐の祈り”は、神様がすでに何を与えてくださったか、これから何を与えると約束なさったかを、絶えず神様に思い出させます。

 

It is not enough to begin to pray, nor to pray aright;

nor is it enough to continue for a time to pray;

but we must pray patiently, believing , continue in prayer until we obtain an answer.

-George Muller-

 

Passion in prayer is about being persistent and engaging with God from the heart. It is not about our prayer style in a public meeting.

 

Persevering prayer is continually reminding God of what He has already given us and what He promises to yet give us.


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2015年

8月

24日

◆つまずかせない神◆

固く信じていなさい。もしあなたが神と共に歩み、神をしっかり見つめ、神に期待するなら、このお方は決してあなたをつまずかせることはありません。

~ジョージ・ミュラー~

 

Be assured, if you walk with Him and look to Him, and expect help from Him, He will never fail you.

-Geoage Mueller-

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2015年

7月

22日

◆強い信仰とは◆

◆今日の霊想◆

 

 “強い信仰を学ぶ”ことは、“大いなる試みに耐える”ということです。

~ジョージ・ミュラー~

 

To learn strong faith is to endure great trials.

-George Mueller-


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