2019年

10月

14日

◆神から目線で人生を考える(4了)◆

1.《知識でなく知恵を求めよ》

もしあなたに知識が不足しているなら、学校に行きなさい。

知恵が欠けているなら、ひざまずきなさい!

知識は、知恵とは違います。

知恵とは、知識を適切に用いることなのです。

~ヴァンス・ハヴナー~

【解説】 はい、この金言で一番大切なのは、2行目です。「知恵が欠けているなら、良書をできるだけ多く読みなさい」でもなければ、「その道の良き師に私淑しなさい」でもない。「ひざまずきなさい」! 知恵は、知識の多さを誇る己のおごりを悔い改め、知恵のないことを素直に認め、へりくだって乞い求める者に、上から、神様から与えられるのですね。

(ヤコブ 1:5) 「あなたがたの中に知恵の欠けた人がいるなら、その人は、だれにでも惜しげなく、とがめることなくお与えになる神に願いなさい。そうすればきっと与えられます。」

If you lack knowledge, go to school. If you lack wisdom, get on your knees! Knowledge is not wisdom. Wisdom is the proper use of knowledge.

-Vance Havner-

 

2.《欲しいものをゲットする3つの方法》

ものと付き合って生きる3つのレベル(水準)があります。

(1) それを得るために盗むことができます。

(2) それを得るために働くことができます。

(3) 与えるためにそれを得ようと働くことができます。

~ジョン・パイパー~

【解説】 これはある意味、その人の人間性そのもの(品格)のレベルとも言えますね。一番低いのはもちろん(1)、これは論外。ほとんどの人は(2)で、これが平均レベルと言えますが、パイパーは、キリスト者たるもの、ここにとどまっていてはいけないと言うのです。そこに(3)“他者のために”という高次の目的が加わったとき、私たちの“ものとの付き合い方”は、優れて“神から目線”になります。

There are three levels of how to live with things: (1) you can steal to get; (2) or you can work to get; (3) or you can work to get in order to give.

-John Piper-

 

3.《満ちあふれることの祝福》

なぜ神は、“満ちあふれること”を祝福なさるのでしょうか? そうなれば、私たちが生きていくには十分であり、残りのものは、あらゆる良き働きのために用いることができ、霊的・身体的な苦痛や惨めさを解消できるからです。

”十分”は己(おの)がため、“盈満(えいまん)”は他者のためです。

~ジョン・パイパー~

【解説】再びパイパーですが、これは2.の結論とも言うべきものです。私たちから満ちあふれるものは、物や財だけではありません。私たちの内なる善きもの―み霊の実―(ガラテヤ5:22,23)もまた、満ちあふれて他者を潤すのです。最後の1行、ぜひ心にインプットして、座右の銘になさってください。(満ちあふれるという意味の“盈満”という言葉、大好きで、何十年もの間(!)、使う機会を狙っていました。でも読む方には難しいだろうと思って遠慮していたのですが、パイパーのこの言葉に出会って、”時は今!“と決心しました。そらんじるには、簡潔をもって多とすべしですから。)                                                                                                                                                                                                                               

Why does God bless us with abundance? So we can have enough to live on, and then use the rest for all manner of good works that alleviate spiritual and physical misery. Enough for us; abundance for others.

-John Piper-

 

【FBフォトギャラリー】「秋深し」(6)

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2019年

10月

13日

◆神から目線で人生を考える(3)◆

1.《不平不満はサタンの武器》

不平不満は、“敵”からの告発を表しています。

~マイク・ビックル~

【解説】 原文で定冠詞theの付いた“敵”は、言うまでもなくサタン、闇の世界の主権者である悪魔です。私たちが不平不満を漏らすとき、それはサタンに人間の過ちを告発させていることになるというのです。私たちは、つい赦す代わりに文句を言いそうになりますが、そのたびに、あなたの背後で歯をむき出して責め立てるサタン(!)を思い出して、自分の口に「待った!」をかけましょう。そして「この一言の不平不満で、サタンの手先になるものか」と、心に言い聞かせましょう。そこにサタンに打ち勝つ聖霊が働かれて、あなたの心に冷静(霊性!)と相手の立場に立って考え直す優しさを取り戻させてくれるはずです。

Complaining expresses the accusations of the enemy.-Mike Bickle

 

2.《あらゆる計画から罪を締め出す》

罪が入り込んでくるドアを開くような計画は、

どんなものであれ立ててはいけません。

~ジョン・パイパー~

【解説】 見栄えの良い計画ほど、罪が入り込む可能性も高くなります。その罪とは、自分だけが利益を享受すること、それを実行することによって、誰かに不利益をもたらし、困難な立場に追いやることです。私たちが立てる計画は、そのスケールの大小にかかわらず、ただ神のみ名があがめられ、関わる全ての人が恵みにあずかるものであるべきです。少しでもそうならない可能性のある“罪のドア”を見つけたら、直ちに閉め、計画を練り直さなければなりません。

Don’t make any plans that open the door for sin’s entry.-John Piper

 

3.《聖書が最もあなたを促すもの》

あなたの耳を聖書に当てなさい。

そして、「出ていって、罪ある人々を罪の炎から引き出せ」という神のみ声を聞くのです。

~ウィリアム・ブース~

【解説】 この面白い勧めをしたのは、救世軍の創始者、ブース大将です。聖書はいろいろなスタイルで読むことができます。人生の糧として、あるいは学的興味や研究のために。けれども、どんなスタイルで聖書を読んでも、そこに、罪を持ったまま失われていく魂に対する神の悲しみの叫びを聴かない読み方は、聖書の本当の読み方ではありません。なんとなれば、聖書の本質は、創造者にして愛なる神が、罪によって隔てられた人間を、もう一度ご自身のもとに引き寄せるために書かれた“救いの書”だからです。今日、今から、あなたの霊の耳を、聖書にぴたりと当てながら、耳を澄まして聖書を読み直しましょう。そして神の細い静かなみ声を聴きましょう。かつてあなたを神の愛の深さに涙させたみ声、そしてまだ救われていないあの人にどうしても聴かせたいキリストの十字架のみ声を――。

(イザヤ 43:4) 「わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。」

(ルカ23:34)「父よ。彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分でわからないのです。」

Put your ear down to the bible, and hear Him bid you go & pull sinners out of the fire of sin.

-William Booth-

【FBギャラリー】「秋深し」(5)

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2019年

9月

18日

◆神と共にある生活◆

《意志力で神を愛する時》

あなたの全ての意志を傾けて神を愛するということは、神のご意志が私たちの人生の方向をお決めになることを許すということを意味するのです。

(箴言 3:6) 「あなたの行く所どこにおいても、主を認めよ。そうすれば、主はあなたの道をまっすぐにされる。」

Loving God with all your willpower means allowing His Will to determine the direction of our lives.

"In all your ways acknowledge Him, and He will make your paths straight."

Proverbs 3:6

(シェア マデレン・ワー)

 

《神を求め、見いだし、近づくことの報い》

主を求める者への大いなる約束は、主が見いだされるということです。(Ⅰ歴代 28:9)「もし、あなたが神を求めるなら、神はあなたにご自分を現される。」そして主が見いだされると、大いなる報いがあります。(ヘブル 11:6) 「神に近づく者は、神がおられることと、神を求める者には報いてくださる方であることとを、信じなければならないのです。」 “神ご自身”が、私たちの大いなる報いなのです。そしてこのお方を持つということは、私たちが全てを持っているということです。それゆえに、(詩篇 105:4)「主とその御力を尋ね求めよ。絶えず御顔を慕い求めよ。」

~ジョン・パイパー~

The great promise to those who seek the Lord is that he will be found. “If you seek him, he will be found by you” (1 Chronicles 28:9). And when he is found, there is great reward. “Whoever would draw near to God must believe that he exists and that he rewards those who seek him” (Hebrews 11:6). God himself is our greatest reward. And when we have him, we have everything.

Therefore, “Seek the Lord and his strength; seek his presence continually!”

(Psalm 105:4).

- John Piper

(シェア・写真撮影 マデレン・ワー)

 

《礼拝するということ》

”礼拝”とは、日曜礼拝の20分間を言うのではなく、“ライフスタイル(生活様式)“のことです。

ひと言で言えば、私たちの神礼拝は、私たちが毎日の生活をどのように生きているか(ライフスタイル)ということの中に示されます。神様は私たちに、回心し、全く変えられた心で、ご自身を霊とまことをもって礼拝することを求めておられます。私たちはそれを、神をあがめ、仕え、その戒めを心に留めることによって行うのです。

Worship is not a twenty minute period during a church service; It’s a lifestyle.

In the nutshell, our worship of God is shown in how we lives our daily lives (a lifestyle). God wants us to worship Him in spirit and truth from a converted and transformed heart. We do this by honoring Him, serving Him and giving heed to His instructions.

(シェア マデレン・ワー)

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2017年

5月

21日

◆”礼拝”の内と外◆

◆祈りの家◆

―“礼拝の内と外―

 

“礼拝”とは、神のまことの豊かさを映し出す、“内なる感情”と“外なる行動”である。

~ジョン・パイパー~

 

【解説】 “クリスチャンとは?“と聞かれたら、いろんな答え方があるでしょう。でもその中に、絶対に入っていなければならない一つの定義は、“クリスチャンとは、礼拝する者です“であると言えるでしょう。クリスチャンの使命は、神のすばらしさを証しすることです。そしてそれは、まず他のどんな行為よりも先に、“礼拝”においてなされなければなりません。礼拝において、私たちは内なる人を燃え立たせられます。み言葉や、賛美や、祈りによって、神の愛と恵みの深さ、広さに触れて、時には涙するほど感動します。しかしそこで終わってしまったら、それは単なる感情だけの礼拝です。その燃やされた心は、私たちの堅い意志と結びついて、その喜びを、たとえどんなささやかなことであれ、行動によって示そうとします。“神のまことの豊かさ”(原意:神の真価)は、礼拝において、それにあずかる私たち一人一人の、内なる人(感情)と、外なる人(意志的行動)によって、生き生きと映し出されます。そこから私たちは、自分の遣わされた場所に出ていきます。そこにおける私たちの毎日もまた、“礼拝”です。私たちの役割は、太陽のように輝くことではありません。月のように、ただ太陽なる神のすばらしさを、この身を通して映し出し、反射させるだけです。そしてまた新しい週の初めの日、私たちは“礼拝”に帰っていくのです。“神のまことの豊かさ”に浸るために。そしてこの身に映し出すために――。

 

"Worship is an inward feeling and outward action that reflects the worth of God."

—John Piper

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2016年

8月

27日

◆あなたの動力源は真理ですか?◆

生活が“神中心”であるということは、神の働きにおいては“真理駆動”(真理に駆り立てられる)であるということです。真理でないものは、神のものではないのです。
~ジョン・パイパー~

(ヨハネ3:21) 「しかし、真理を行う者は、光のほうに来る。その行いが神にあってなされたことが明らかにされるためである。」

 

“Being God-centered in life means being truth-driven in ministry. What is not true is not of God.”
—John Piper

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2016年

6月

10日

◆神の業から自分の業へ◆

 

祈りの家

 

―神のみ業から私の業へ―

 

 

 

クリスチャンの生き方は、神がキリストに在って、私たちのために進んでなしてくださったことから、私たちが他者のために進んでなすべきことへと動いていくものだ。

 

~ジョン・パイパー~

 

 

 

Christian living moves from what God has freely done for us in Christ to what we should freely do for others.”

 

 —John Piper

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2016年

5月

11日

◆あなたの忍耐力はどこから?◆

 

”忍耐力”は、物事の遅れや、遠回りなど全ての不都合の中にあっても、神様が、私たちのために、何かよきことを用意しておられるのだと信じる力にかかっています。

 

~ジョン・パイパー~

 

 

 

"The strength of patience hangs on our capacity to believe that God is up to something good for us in all our delays and detours."

 

 - John Piper

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2016年

5月

10日

◆キリスト者の謙遜◆

 

キリスト者の謙遜、すなわち悪に対して善をもって報いる能力は、人の心の中に、神様がお働きくださった“奇跡”である。

 

~ジョン・パイパー~

 

 

 

Christian humility – the ability to return good for evil – is a miracle worked by God in the human heart.

 

-John Piper-

 

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2016年

5月

01日

◆み言葉から得る恵み◆

 

神のみ言葉の恩恵は、この世の他のいかなる利得よりも大いなるものです。

 

 

 

~ジョン・パイパー~

 

 

 

The benefits of the word of God are greater than the benefits of anything else in the world.

 

-John Piper-

 

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2016年

4月

10日

◆十字架は神のオリジナル・プラン◆

 

十字架は、人の悲劇を神が良いほうに変えてくださったものではありません。

 

十字架は、神が良いこととして計画してくださった愛を込めた出来事だったのです。

 

~ジョン・パイパー~

 

 

 

(使徒の働き 2:22-24 「イスラエルの人たち。このことばを聞いてください。神はナザレ人イエスによって、あなたがたの間で力あるわざと不思議としるしを行われました。それらのことによって、神はあなたがたに、この方のあかしをされたのです。これは、あなたがた自身がご承知のことです。あなたがたは、神の定めた計画と神の予知とによって引き渡されたこの方を、不法な者の手によって十字架につけて殺しました。しかし神は、この方を死の苦しみから解き放って、よみがえらせました。この方が死につながれていることなど、ありえないからです。」

 

 

 

The cross was not a tragic event God “turned” for good. It was a loving event God planned for good.

 

-John Piper-

 

Jesus went to the cross by the determined purpose and foreknowledge of God. (Acts 2:22-24)

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2016年

4月

03日

◆神様は決して あなたに飽きません◆

 

あなたは自分の人生に飽きておられるかもしれない。

 

…だが神様は違います! 

 

彼は、ご自身があなたの中になしておられることに、

 

限りなく心を躍らせておられるのです。

 

~ジョン・パイパー~

 

 

 

【解説】 あなたは、何かに興奮したときに、自分の心臓がドッキンドッキン高鳴っているのを感じたことはありませんか? 霊の世界でも同じことが起こるのです。あなたの中で、あなた以外の人格が(正しくは神格ですが)、生き生きと働いているのを感じる…。自分にはない、不思議な力が、魂の底から湧き上がってくる…。これはまさしく、内なるご聖霊の働きです。そしてそれは、あなたには時々感じられることかもしれませんが、ご聖霊は、ひとたび信仰告白をしたあなたの内にお入りになると、“限りなく”(無限に、継続的に)、その業をなさるのです。やがてあなたの内に、栄光のキリストのかたちなるまで――。そして、あなたが、自分のうちにあるそのご人格の働きに、どれほど敏感に、速やかに気づくようになるか、そこに神様は、あなたの聖化の跡をご覧になり、またまた心を躍らせられる(直訳は、“エキサイト: 興奮する”です!)ことでしょう。

 

 

 

You may be bored with your life – God is not! He is infinitely excited about what He is doing in you.

 

-John Piper-

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2016年

3月

22日

◆物事がうまくいかない本当のワケ◆

 

物事が悪いほうに行ってしまうときというのは、神様が“善”であられることをやめてしまわれたということではありません。それは、私たちが神様を愛し続ける限り、私たちをもっといい場所にお置きになろうとして、神様がいろいろ動かしておられるということなのです。

 

~ジョン・パイパー~

 

 

 

【解説】 家具などを並べ替えること、あるでしょう? 「ここがいいか。いや、ちょっと狭いな」「ここはどうだ? ここはもろに日が当たるからよくない」…。いろいろやってみて、最後にその家具を最高に映えるベストな場所にピタリと収めた時の喜び! 私たちの色々な不都合や試練も、背後で目に見えない神様が、そうやって私たちの“人生”という大きな家の中で、ベストな場所に据えるためにいろいろ考えておられるからなのだというのです。パイパーのこういう“聖なるユーモア”、私は好きです! 物事がうまくいかないときは、腕組みをして考えておられる神様を想像なさってください。「ふむふむ、神様、今お考え中だな。もうすぐ、一番いいとこに収めてくれるさ」と。大抵のことは、笑ってやり過ごせますよ。

 

 

 

When things are going bad, that does not mean God has stopped being good. It means He is shifting things around to ger them in place for more good, if you will go on loving Him.

 

-John Piper-

 

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2016年

2月

03日

◆ローマ8:28のパイパー流解釈◆

 上に上る道は下る道です。

 前に進む道は後戻りの道です。

 成功への道は、神様によって定められた幾つかの“挫折”を通ります。

 それらはいつも、”失敗”のように見え、またそう感じられるのです。

 ~ジョン・パイパー~

  

(ローマ 8:28 「神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。」

 

【解説】 パイパーは、3つの言い方で、「神様を信じる者にとっては、全ての災い(=下向、退行、挫折)は、転じて益(=上昇、前進、成功)となる」と言っているわけです。最初の2つは、ストレートの逆説で、一瞬“どういうこと?”と考えさせられますが、3つ目でパイパーは分かりやすい説明を加えていますので、それを踏まえて言うと、「上に上る道は、下る道のように見え、そう感じられる。」「前に進む道は、後戻りの道のように見え、そう感じられる」けれど、時がたって振り返れば、自分は確かに上に上り、前に進んでいたのだ、ということです。これは神様のなさることですから、全ての人間にとっての真理ですが、神様を信じ、み言葉によって神様の最善のご計画を知る私たちキリスト者にとって大切なのは、”あとになって”ではなく、今の苦しみ、悲しみ、失敗、挫折のただなかにあって、あとに必ず待っている祝福を“先取り”して、主を見上げて歩んでいくということではないでしょうか。

 

The way up is down.

 The way forward is backward.

 The way to success is through divinely appointed setbacks.

 They will always look and feel like failure.

 -John Piper-

 

"And we know that all things work together for good to those who love God..." (Ro. 8:28).

 

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2016年

1月

05日

◆あなたは世の海に浮かぶ”船”です◆

 

“時代にはびこる霊”を知り、それへの順応には意識的に抵抗しなさい。D. L. ムーディーが言ったように、「船は世界の海の一部だが、その海水が船の中に入ってきたら、船は沈んでしまう」のです。

 

~ジョン・パイパー~

 

 

 

 

【解説】 これは、“現代の預言者”の一人、ジョン・パイパーが、1世紀前のムーディーとスクラムを組んで、キリスト者の世俗化への警鐘を鳴らした一節です。この霊のもたらす危険性から身を守るには、

 

  1. ”その時代の霊”をよく見抜くこと。原語のspiritは、よい意味では”精神”とも訳されますが、悪い意味では、もちろんその元凶は”悪霊”(サタン)ですから、例えば1940年代のヨーロッパを覆っていたのは、アーリア人種による世界帝国を夢想した一人の権力への狂信者ヒトラーをほしいままに用いた、“ホロコースト(大量虐殺)の霊”でした。この悪しき霊は、今もテロリズムとして、中東を中心に、世界を恐怖に陥れています。そしてもう一つの霊が、物質至上主義の”世俗化の霊”でしょう。人がモノ・カネに至上の価値を置くとき、反比例して愛は冷えていくのです。

  2. その霊の危険性に気づいたら、「意識的に」(一つ一つの事象の中に、その空気を、その“におい”を覚えて、感知して、自覚して)抵抗すること。人類の歴史上、国家権力による弾圧や支配も、あるいは宗教的に堕落した組織も、最後には、良心に従って、時には命を捨てて“抵抗”した人々によって崩壊したのです。

  3. しかし私たちは、神様によって、この世に遣わされた者であることを忘れてはなりません。自らの聖性を守るために、この世に背を向け、人々と共に生きることをやめたら、私たちはたちまち”塩気”を失い、炎の消えた灯心をくすぶらせるだけの存在に堕してしまい、早晩この世を出てしまわなければならなくなります(Ⅰコリント510)。ムーディーによれば、私たち”船”は、あくまで海の一部(belong 海に属するもの、あるべきところにあるもの、海にふさわしいもの)であり、そこを離れては、役に立たない、無用の長物として朽ち果てるしかないのです。けれども、大切なのは水の“上”に浮かんでいることです。世俗化の“波”をもろにかぶり、そのままにしていたら、どんどん船底に水がたまり、許容量を超えたらひとたまりもなく転覆してしまいます。

 

この世に進んで出ていき、この世にありながら、この世の霊に打ち負かされずに生きる、そこにキリスト者の闘いと使命があります。独りでは決してやりおおせない熾烈な戦いです。何度となく水をかぶります。沈みそうになります。そのたびに主イエスに手を差し出して、引き上げてもらいながら、日々を歩んでまいりましょう。

 

(ヨハネ16:33 「わたしがこれらのことをあなたがたに話したのは、あなたがたがわたしにあって平安を持つためです。あなたがたは、世にあっては患難があります。しかし、勇敢でありなさい。わたしはすでに世に勝ったのです。」

 

 

 

 

Know the spirit of the age and consciously resist conformity to it. As D. L. Moody said, The ship belongs in the water of the world, but if the water gets in the ship, it sinks.

 

-John Piper-

 

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2015年

12月

20日

◆神のデザイン:頭で理解、心で体験

 

神は、あなたが頭で集中して考えた確信の心地よさを体験できるように、あなたの心をかたちづくられたのです。

 

 

 

~ジョン・パイパー~

 

 

 

God designed your heart to experience the sweetness of assurance by what you focus on with your head.

 

-John Piper-

 

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2015年

12月

07日

◆愛されて、愛する人に◆

私に対するキリストの愛は、私を新しい種類の人につくり変えてくれます。彼の「愛しなさい」というご命令は、彼の「愛しているよ」という約束が真実であるのと同じほどに、私には確かで可能なことなのです。

~ジョン・パイパー~

 

Christs love for me makes me a new kind of person. His command to love is just as surely possible for me as His promise of love is true for me.

-John Piper-

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2015年

11月

25日

◆ジョン・パイパー、生きる目的を語る◆

キリスト者の君、神様を喜ばせながら生きることは可能なのです。

 

人の生涯の目的は、キリストに在る神様を、限りなく価値あるものとして、“見せる”ことです。

 

It is possible, Christian, to live pleasing God.

The aim of all human life is that God in Christ be displayed as infinitely valuable.

 


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2015年

11月

18日

◆ジョン・パイパーが語る”弱さ”の恵みと力◆


  1. 神様は、私たちを、ご自身の恵みの“導管”としてくださいました。ここで危険なのは、“その導管は金でできているべきだ”と考えることです。そんな必要はありません。“銅”でいいのです。銅は、他の人々に信じられないほど豊かな富を運び入れることができます。

  2. あなたや私が、弱さや逆境の中で抱いている最も深い必要は、そこから素早く救出されることではありません。それは、“自分に起こっていることは、この宇宙の中での、神の最も大いなる目的の一部なのだという、十分な根拠に基づいた確信なのです。

 

~ジョン・パイパー~

 

  1. God has made us to be conduits of his grace. The danger is in thinking the conduit should be lined with gold. It shouldn’t. Copper will do. Copper can carry unbelievable riches to others.

  2. The deepest need that you and I have in weakness and adversity is not quick relief, but the well-grounded confidence that what is happening to us is part of the greatest purpose of God in the universe.
    -John Piper-


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2015年

11月

06日

◆ジョン・パイパー、礼拝と愛を語る◆


  1. あなたの生活が“礼拝”となったとき、神様は、人々の目に価値あるものと見え始める。

    【解説】   「生活が礼拝となる」、これは、クリスチャン生活の“究極の定義”です。外の姿かたちは、他の人々と全く変わらないのに、信仰者の生き方の違うところは、”見えざるお方を、あたかも目の前におられるように、畏れて生きている“ということです。その生き方が、まだ神様を知らない人々の目に、「この人を、このように畏れさせ、あがめさせる存在とはいったい何だろう? そして、かつてのこの人を、このように変えてしまう力を持った存在とは、どのように大きなものなのだろう?」と映り始めるのですね。その意味で、「生活が礼拝となる」とは、言わず語らずして、クリスチャンの“究極の証しともなるのです。

    (ヨハネ 4:23 「しかし、真の礼拝者たちが霊とまことによって父を礼拝する時が来ます。今がその時です。父はこのような人々を礼拝者として求めておられるからです。」


  2. 神様が創られた全てのものは良きものです。創られた全てのものは、礼拝と愛のためです。それは、宴(うたげ)のごちそうで楽しむときにも、断食をするときにも同じなのです。
    【解説】 原文では、この対をなす両極の例に、feasting フィースティング、fasting ファースティングという韻を踏ませています。一方は喜びの極致、一方は苦しみの極致です。でもそのいずれもが、神様と人々に対する礼拝と愛の動機からなされなければなりません。それがなければ、それらはしょせん富者の虚栄と律法主義者の見栄に終わります。なお聖書では、この「宴と断食」は、イスラエルの祭りの両面を表すものとして、しばしば対になって出てきます。(ゼカリヤ819他)


    (Ⅰコリント 10:31 「こういうわけで、あなたがたは、食べるにも、飲むにも、何をするにも、ただ神の栄光を現すためにしなさい。」
     

  3. 神様の“満足感”の最頂点は、神の民の賛美のうちにある、ご自身の卓越したすばらしさのこだまをお聴きになる歓びです。
    【解説】 畏れ多いことですが、神様を”擬人化”するときに、そのご存在は、俄然身近なものになります。神様が、私たちの賛美の余韻の中にさえ、歓びを感じられ、深い幸福感で満ち足りておられる姿…! 救われた民の第一にすべきことは、伝道にも、証しにもまして、“賛美”です! 昨日救われたあなたも、信仰歴50年のあなたも、日々を賛美の中に過ごしましょう。その賛美の中に主はおられ、そのこだまのかすかな響きも、神様を幸せにするには十分なのですから!
    (詩篇 22:3 「けれども、あなたは聖であられ、イスラエルの賛美を住まいとしておられます。」

 

  1. When your life becomes worship, God begins to look valuable to other people.
    "The hour is coming...when the true worshipers will worship the Father in spirit and truth" (Jn. 4:23).

  2. Everything God made is good. Everything is for the sake of worship and love. And this is true both in the feasting and the fasting.

  3. The climax of God’s happiness is the delight He takes in the echoes of His excellence in the praises of His people.


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2015年

10月

29日

◆ジョン・パイパーの聖句省察◆


  1. 全ての”英雄たち”は、“キリストの影”である。
    (コロサイ 1:15 「御子は、見えない神のかたちであり、造られたすべてのものより先に生まれた方です。」

  2. 神が命令されたのなら、神がそれを成し遂げてくださる。
    (ピリピ 1:6 「あなたがたのうちに良い働きを始められた方は、キリスト・イエスの日が来るまでにそれを完成させてくださることを私は堅く信じているのです。」

  3. “礼拝”なしの働きは、神の大切な価値をではなく、あなたの意志の力を増大することになる。
    (伝道者の書5:7 「夢が多くなると、むなしいことばも多くなる。ただ、神を恐れよ。」 。」(訳者選択)

  1. All heroes are shadows of Christ.
    "He is the image of the invisible God, the firstborn over all creation" (Col. 1:15).

  2. If He commands it, He can accomplish it.
    "He who has begun a good work in you will complete it until the day of Jesus Christ" (Phil. 1:6).

  3. Work minus worship magnifies your will power not God’s worth.


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2015年

8月

30日

◆飢え渇きが足りませんね?◆

◆今日の霊想◆

―飢え渇きが足りませんね?―

 

クリスチャン生活のカギは、“神への飢え渇き”です。そして、人々が、”恵み”のこの上ないすばらしさと、最上の“喜び”を呼び覚ますことを通してそれが働くという事実を理解しない、あるいは体験しない主な理由の一つは、彼らの“神への飢え渇き”が少なすぎることにあるのです。

~ジョン・パイパー~

 

The key to Christian living is a thirst and hunger for God. And one of the main reasons people do not understand or experience the sovereignty of grace and the way it works through the awakening of sovereign joy is that their hunger and thirst for God is too small.

-John Piper-

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2015年

8月

20日

◆神の栄光が現れるとき◆

私たちが神のうちに最も満ち足りるとき、神の栄光は私たちのうちで最もたたえられる。

~ジョン・パイパー~

 

聖書的に言えば、”幸せ”とは、イエスのうちに満ち足りることであって、必ずしも私たちの状況の中で満足することではありません。

 

"God is most glorified in us when we are most satisfied in Him."

John Piper

Happiness, biblically speakingis being satisfied in Jesus, not necessarily satisfied in our circumstances.


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2015年

7月

25日

◆キリストの自制◆

 聖霊が信仰者のうちに“自制心”をもたらす方法は、私たちの魂に対して、キリストの麗しさを、この上なくすばらしく、この上なく満ち足りた姿で啓示することによってです。

~ジョン・パイパー~

 

【解説】 さすがはジョン・パイパー、鋭く、また深い洞察ですね。ご存じのように、”自制”は、聖化の過程で、み霊のもたらす実の一つですが、パイパーは、み霊がその実を私たちのうちに“どのように”もたらされるのかを考察します。そして私たちに、それは私たちの魂に対する直接的な働きかけや、鍛錬によるものではなくて、“至高の”(原語は上記で“この上なく”と訳したsupremely)模範を指し示すことによってなのだと気づかせてくれます。まさに“聖なるオブジェクトレッスン”です。「キリストの麗しさ」――聖書の中に日々それを見いだし、そのみかたちが我がうちに少しでも成るようにと祈りつつ、仰ぎ求めていくとき、生けるキリストのみ霊が、その業を成してくださるというのです。自制心のかけらもない“怒りの人”である私のうちに、“キリストの自制(self-control)”が生み出され、生涯かけて培われていくのです。それは、人としての思いを血の汗をもって克服し、私たち全てを滅びから救わんとするみ父のご意志に従って、ゴルゴタへの道を歩まれた、“愛の自制”でした。「この道を歩め」と言われる主のみ声が、今、あなたにも聴こえるでしょうか?

 

(ガラテヤ5:22,23「御霊の実は、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制です。」

 

The way the Spirit produces self-control in the believer is by revealing the beauties of Christ to our souls as supremely beautiful and supremely satisfying."

--John Piper


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