2018年

11月

07日

◆神様の業は、いつも小さなものから◆

信仰によってまかれた種は、

たとえ小さな1粒でも、

神様がそのためにあなたを召された業を成し遂げる

始まりになるのです。

 

神様は、ご自身のみ子に栄光を与えるために、

最もあり得ないもの、ありえない人々をお用いになります。

~ダニエル・コレンダ~

 

【解説】 私が、そしてあなたが、その“小さなからしだねの1粒”、“最もあり得ない(ふさわしくない)人々“の一人かもしれません。でもひとたび神様が召されたとき、それはあなたの能力や才能の問題ではなくなります。あなたを用いて事をなされるのは、神様の主権的な意志であり、そのために必要なものは、全て神様が備えられるのです。“恥は我がもの、栄光は主のもの”。私たちに必要なのは、ひとすじの”信仰“だけ。信仰をもって、神様に全てを委ね、イザヤのようにこう言うだけです――。

(イザヤ6:8)「ここに、私がおります。私を遣わしてください。」

 

Even a small seed planted in faith can become the inception of

fulfilling what God has called you to do. God uses the most unlikely thing and people to give glory to His Son.

-Daniel Kolenda-

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2017年

8月

28日

◆ただこのように生きたいだけです◆

私は今、一つの願いを持っています。

それは、私のエネルギーと力を全て注ぎ込みながら、

主のために“捨てる”ことは意に介さない人生を生きることです。

 

~エリザベス・エリオット~

【解説】 宣教師で最初の夫ジムを、わずか3年間の結婚生活ののち、東エクアドルのアウカ族に殺された彼女は、自ら夫の遺志を継いで宣教師として、2年間の間、彼らにキリストの愛の福音を伝え、多くの回心者を生みました。“アウカの愛の奇跡”です。その後、南米に長く住み、アメリカに帰ってからは、その後の2度の結婚で夫と家庭に仕えながら、クリスチャン作家として20冊以上の本を書きました。また全米を精力的に講演して回りながら、この“願い”をモットーに、キリストにある生き方のすばらしさを説き続け、2015年、夫の待つ天に凱旋しました。

 

(ピリピ 3:7-9) 「しかし、私にとって得であったこのようなものをみな、私はキリストのゆえに、損と思うようになりました。それどころか、私の主であるキリスト・イエスを知っていることのすばらしさのゆえに、いっさいのことを損と思っています。私はキリストのためにすべてのものを捨てて、それらをちりあくたと思っています。それは、私には、キリストを得、また、キリストの中にある者と認められ、律法による自分の義ではなくて、キリストを信じる信仰による義、すなわち、信仰に基づいて、神から与えられる義を持つことができる、という望みがあるからです。」

 

“I have one desire now—to live a

life of reckless abandon for the Lord, putting all my energy and strength into

it.”

—Elisabeth Elliot

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2016年

11月

26日

◆明け渡しの意味するもの◆

人は、(救われたときに:訳注)たちどころに人生を明け渡すのではありません。一生に関わるものだけが、生涯を通して明け渡されていくのです。
~エリザベス・エリオット~

 

【解説】 これは、救われた者の”聖化”の過程を、“明け渡し”という言葉で述べたものと言ってもいいでしょう。なんとなれば、聖化とは、一瞬の出来事ではなく、生涯を通して、召されるその時まで、なされることだからです。その意味で、“一生に関わるもの”とは、その人の全存在、人格そのものと考えていいと思います。“聖化”(聖く変える)とは、人の業ではありません。ひとえに神ご自身のみ業です。そして“明け渡し”とは、100パーセント私たちのなすべき業です。この二つは、神のコインの両面なのです。私たちの間断なき明け渡し(それは、悔い改めと献身とより成ります)を神様が受け入れ、私たちを昨日より今日、今日より明日へと、少しずつ聖い者に変えていってくださいます。多くの人は、「自分は聖くない。少しも霊的に進歩していない」と悩みます。そんな方に、2つのことを申し上げておきますね。1つは、あなたがそう思ってしまうわけは、上述した、悔い改めと献身から成る“明け渡し”が徹底していないからだということ。主の前に己のなすべきことをしないで、恵みだけを求めてはいけません。いま1つ、大切なのは、弱い、不十分な自分を見て嘆くのではなく、聖めてくださる主のみ力を、大胆に信じることだということ。あなたが聖くなるのは、神様のみ心ですから、「こんな私の内にも、神様は今、聖化の業を成してくださっているのだ」と、み言葉に立って、固く信じることです。これはつまるところ、“信仰”の問題なのです。もう一度言います。“自分を”ではなく、“我が内に働く神の力を”信じる。――ここから全てが、“生涯を通して”、変わっていくのです。そのとき、もはや自分がそれを自覚できるかどうかは問題ではありません。いえむしろ、その人は、自分が変わっていることにさえ気づかないでしょう。かの神と合いまみえたモーセが、自分の顔の輝きに気づかなかったように(出エジプト記34:29)。あなたの聖化を知り、喜ばれるのは、ひとり、それを成してくださった神様のみなのですから――。

 

(Ⅰテサロニケ 4:3) 「神のみこころは、あなたがたが聖くなることです。」

 

One does not surrender a life in an instant. That which is lifelong can only be surrendered in a lifetime.” —Elisabeth Elliot

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2016年

7月

05日

◆こんな者でもよかったら◆

 

完全な神様が、不完全な人間の協力を探し求めておられるのです。

 

~ラインハード・ボンク~

 

 

 

【解説:詩一編】 

 

―我、ここにあり―

 

 

 

畏れ多し。

 

かかる小さき者に“福音”を委ねられしや?

 

かたじけなし。

 

このむさき身をも

 

御身の愛を伝うる道に召したまいしとは?

 

 

 

さはれ

 

欠けたるところ一つだになき御身にして

 

“神の国づくり”のみ業に

 

かくも欠け多き者、なお入り用とあらば

 

この命、取りたまえ。

 

 

 

A perfect God seeks the cooperation of imperfect people.”

 

Reinhard Bonnke

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2016年

6月

27日

◆我らの仕えまつる主◆

 

私たちは、あわれみ深い主に仕えている。このお方は、私たちの失敗をさえ支配され、それをご自身の栄光と、私たちの益に変えるすべをご存じなのだ。

 

~ジョン・ニュートン~

 

 

 

(ローマ 8:28 「神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。」

 

 

 

We serve a gracious Master who knows how to overrule even our mistakes to His glory and our own advantage.

-John Newton-

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2016年

3月

26日

◆ナルドの壺より貴き宝◆

 

マリヤは、己の“最も貴重な地上の宝”を砕き、

 

彼女の“大いなる宝”の頭(こうべ)に注いだのです。

 

~マイク・ビックル~

 

 

Mary broke her most precious earthly treasure over the one who was her greatest treasure.

 

-Mike Bickle-

 

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2016年

3月

14日

◆神の受け入れられる供え物は◆

 

神に差し出した全てのものではなく、

 

聖く、神に喜ばれるものだけが、

 

真の“供え物”なのです。

 

 

 

【ローマ12:1 そういうわけですから、兄弟たち。私は、神のあわれみのゆえに、あなたがたにお願いします。あなたがたのからだを、神に受け入れられる、聖い、生きた供え物としてささげなさい。それこそ、あなたがたの霊的な礼拝です。

 

 

 

Not everything offered, but only what is holy and acceptanble is considered as a sacrifice.

 

(Romans 12:1 NIV) Therefore, I urge you, brothers and sisters, in view of God’s mercy, to offer your bodies as a living sacrifice, holy and pleasing to God—this is your true and proper worship.

 

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2016年

1月

29日

◆神の受けられる供え物は◆

 

神に差し出した全てのものではなく、

 

聖く、神に喜ばれるものだけが、

 

真の“供え物”なのです。

 

 

 

【ローマ12:1 そういうわけですから、兄弟たち。私は、神のあわれみのゆえに、あなたがたにお願いします。あなたがたのからだを、神に受け入れられる、聖い、生きた供え物としてささげなさい。それこそ、あなたがたの霊的な礼拝です。

 

 

 

Not everything offered, but only what is holy and acceptable is considered as a sacrifice.

 

(Rome 12:1) I beseech you therefore, brethren, by the mercies of God, that you present your bodies a living sacrifice, holy, acceptable to God, which is your reasonable service.

 

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2016年

1月

09日

◆主の業は栄誉か? 犠牲か?◆

 

もし地上の王からの委任が栄誉と見なされるならば、“天の王”なる方から託された任務を、どうして“犠牲”と思うことなどできようか?

 

~デイヴィッド・リヴィングストーン~

 

 

 

【解説】 このように言ったリヴィングストーンは、アフリカ伝道の主の召しを受けると、貧困の中で苦学をして聖書学、言語学、医学を修め、やがて“暗黒大陸”と言われたアフリカのジャングル奥深くに分け入り、未開人たちに福音を伝え、また奴隷解放運動に尽力し、現地で病死しました。

 

彼がここで言っている”犠牲”という言葉には、①強いられて事を行う。②損失を覚悟の上で持っているものを差し出す。というネガティブなイメージが伴っています。私たちも、主の業をするよう求められたときに、“損を承知で、不本意ながら、やるべきことはやるしかないという思いはないでしょうか? 彼のこの言葉に続く思いは、「これこそは、この上ない栄誉ではないか? 全てを益としてくださる主に委ねて、喜んで、最後まで、召しに忠実に従っていこう」というポジティブな献身の思いだけであったことは、その後の彼の全生涯が示しています。私事ながら、私は年賀状の冒頭に、その年に示されたみ言葉を掲げますが、今年掲げたみ言葉をお分かちしたいと思います。

 

(Ⅰコリント 15:58 「ですから、私の愛する兄弟たちよ。堅く立って、動かされることなく、いつも主のわざに励みなさい。あなたがたは自分たちの労苦が、主にあってむだでないことを知っているのですから。」

 

 

 

If a commission by an earthly king is considered an honor, how can a commission by a Heavenly King be considered a sacrifice?

 

-David Livingstone-

 

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2015年

11月

17日

◆選び◆

”選び”は盲目的になされるのではない。神は、君主の特権(主権)をもって選ばれるが、いかなるときも、“賢明に”お選びになるのだ。神が誰か特定の人を選ばれるときは、いつであれ、ある秘密の理由がある。その動機となるものは、私たち自身の内にはないものだし、その功績にもよらないものだが、そこには、どんな場合でも、ある“秘密の”理由がある。それは被造物である人間の業績などから遥かに隔たったものだが、ただ神ご自身以外、他の何人(なんぴと)も知らないものだ。

 

Election is no blind thing. God chooses sovereignly, but he always chooses wisely. There is always some secret reason for his choice of any particular individual; though that motive does not lie in ourselves, or in our own merits, yet there always is some secret cause far more remote than the doings of the creature, some mighty reason unknown to all but himself.


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2015年

11月

10日

◆あなたも”聖職者”なのです(2)◆

全ての主の聖徒は、神の聖壇の前で、”聖職者(祭司)”であり、“祈りと賛美”の聖なる香の煙をもって、神を礼拝すべく定められている。私たち、一人一人は、もし神の恵みによって救いに召されるならば、”聖職者”である。この故に、私たちは、神の制定による聖職者なのだ。

 

(Ⅰペテロ 2:9 「しかし、あなたがたは、選ばれた種族、王である祭司、聖なる国民、神の所有とされた民です。それは、あなたがたを、やみの中から、ご自分の驚くべき光の中に招いてくださった方のすばらしいみわざを、あなたがたが宣べ伝えるためなのです。」

 

Every saint of the Lord is a priest at Gods altar, and is bound to worship God with the holy incense of prayer and praise. We are priests, each one of us, if we are called by divine grace; for thus we are priests by divine constitution.


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2015年

11月

09日

◆あなたも”聖職者”なのです◆

このことは強調しておかなければならないが、私はいつでも、牧師、あるいは説教者を“聖職者”と呼ぶことには反対である。あなたがそうではないのと同様、私たちもまた、そのような者ではない。全ての聖徒らは“聖職者”なのだ。しかしながら、説教をする人以上に、立ち上がって「私は聖職者だ」と言う人も、誤りなのだ。もはや私は、牧師と信徒という区別には、うんざりなのである。

 

I always have an objection-I must state it strongly-to calling a clergyman, or any man that preaches, a priest. We are no more so than you are. All saints are priests. But, for a man to stand up and say he is a priest, any more than those he preaches to, is a falsehood. I detest the distinction of clergy and laity.


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2015年

9月

19日

◆あなたの体が大切なわけ◆

 聖霊は、私たちの体との“連係プレー”で働かれるのです。あなたの体は、“資産”であって、“妨害物”などではありません。あなたは、その価値が分かりますか?

~ボブ・ソージ~

 

【解説】 あなたの体は、誰にとっての“資産”なのでしょうか? もちろん、あなたをお創りになった神様にとっての、かけがえのない資産です。ですから、決して神様のみ業を妨害するものではないばかりか、神様は、み子の血潮と引き換えに贖い取られ、そのうちにお入りになったあなたの体がなければ、ご自身のみ業をなすことがおできにならないのです。“この身が、私の一挙手一投足が、そしてこのつたない口が、内なるみ霊との密接な連携によって、主のご栄光のために用いられる”。そう考えたら、恐れおののきつつ、この身をいつも最上のコンディションに整えておかなければ、と思いますよね。一方で、まだ主の救いを知らない多くの人は、そのような、“高価で貴い”(イザヤ43:4)自分の資産価値が分からず、生きることに疲れて、傷つけたり、死を選んだりします。私たち自身がまず、この価値を改めて深く心に受け止めると共に、「あなたは神様に、こんなに愛されているんだよ」と、伝えてあげなければいけませんね。

(ヨハネ1:14 「ことばは人となって、私たちの間に住まわれた。私たちはこの方の栄光を見た。父のみもとから来られたひとり子としての栄光である。この方は恵みとまことに満ちておられた。」

(Ⅰコリント6:19,20「あなたがたのからだは、あなたがたのうちに住まれる、神から受けた聖霊の宮であり、あなたがたは、もはや自分自身のものではないことを、知らないのですか。あなたがたは、代価を払って買い取られたのです。ですから自分のからだをもって、神の栄光を現しなさい。」

(ローマ12:1 「そういうわけですから、兄弟たち。私は、神のあわれみのゆえに、あなたがたにお願いします。あなたがたのからだを、神に受け入れられる、聖い、生きた供え物としてささげなさい。それこそ、あなたがたの霊的な礼拝です。」

 

The Spirit works in tandem with our body. Your body is an asset, not a hindrance. Do you know what youve got?

-Bob Sorge-


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2015年

9月

03日

◆♫イエス招きたもう みもとに我ゆく♫◆

◆祈りの家◆

―♫主イエス招きたもう みもとに我ゆく♫―

 

やっと今、心の備えができました。

目を閉じて、ただ信じます、

あなたは、ご自身が行かないところに、私を導くことはなさらないと――。

~ステファニー・グレッツィンジャー~

 



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2015年

8月

11日

◆キリスト、命◆

私はただ一つの情熱を持っている。それは”あのお方”だ。あのお方だけなのだ。
~ツィンツェンドルフ~

【解説】 キリストのために、富、身分、社会的地位などすべてを捨てて献身した人物として双璧を成すのは、13世紀イタリア・アッシジのフランチェスコと、この18世紀ドイツ・ドレスデンのツィンツェンドルフ伯爵でしょう。彼は、美術館で、十字架のキリストの絵の前に立った時、「私はあなたのために命を捨てた。あなたは私のために何を捨てましたか?」と言われる主のみ声を聴き、翻然として献身し、のちに、清貧をもって知られるモラヴィア兄弟団を設立したのでした。(このエピソードをモチーフに作られたのが、讃美歌332「主は命を」の2節です。)
(解説・訳 小川政弘)

I have but one passion. It is He. It is He alone.
-Zinzendorf-

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2015年

7月

20日

◆召しに応える◆

あなたへの神の召しに気づくには、自分のたまものと才能は何かを確かめ、人生におけるあなたの“持ち場”が求めていることを理解し、“内なる声”に耳を傾ける必要があります。

 

To discover your calling, you need to find out your gifts and talents, understand the demands of your station in life and listen to your inner voice.


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