2020年

1月

03日

◆人生は”一代説教”です◆

どう生きるかに、細心の注意を払いなさい。

あなたの人生は、永遠まで残る“説教”なのです。

―ローマ書2:21-24

 

【解説】 おお、このアプローチは、思わずドキリとさせられますね。『人生これ、我が“一代説教”』。それは“永遠まで残る”、すなわち、この地上の歩みを終えたら、天のみ父の前で、じっくりと吟味されるのです。この原語はpermanentパーマネントですが、それには、”永続する。永久の“という意味のほかに、”不変の”という意味もあります。そう、講壇からの説教は、何度でも書き直して、完成度を高めることができますが、この人生説教は、一度語ったら、二度と変えることはできないのです。この説教をつくり上げるものは、あなたの一日一日の、一つ一つの言葉と行いです。どうぞ愛とあわれみの心で、祈りをもってじっくりと“講解”なさってください。“後悔”は決してかなわないのですから――。

(ローマ2:21-24) 「どうして、人を教えながら、自分自身を教えないのですか。盗むなと説きながら、自分は盗むのですか。姦淫するなと言いながら、自分は姦淫するのですか。偶像を忌みきらいながら、自分は神殿の物をかすめるのですか。律法を誇りとしているあなたが、どうして律法に違反して、神を侮るのですか。これは、「神の名は、あなたがたのゆえに、異邦人の中でけがされている」と書いてあるとおりです。」

Be very careful how you live…your life is a permanent sermon. -Romans 2:21-24

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2019年

11月

12日

◆祈りの小箱◆

《今日を愛することができますように》

愛する主よ、

”将来、もしも…“にピントを合わせることをやめて、

“今日の日を極みまで愛する”ことに

ピントを合わせることを始められるよう、どうぞお助け下さい。

イエスのみ名によって。アーメン。

【解説】”将来、もしも…”は、”思い煩い”指向です。「今は良くても、もし明日こうなったどうしよう…。」そこからは、何の解決も生まれません。今日、生かされていることに感謝しましょう。そして、二度と繰り返しのきかない今日という日に与えられる恵みの一つ一つを、十分に味わってフルに生きましょう。そのことを、一日の初めに祈るのです。この主の言葉を、心に反芻しながら――。

(マタイ 6:34) 「だから、あすのための心配は無用です。あすのことはあすが心配します。労苦はその日その日に、十分あります。」

(マタイ 6:34) 「だから、あすのための心配は無用です。あすのことはあすが心配します。労苦はその日その日に、十分あります。」

Dear Lord, help me to stop focusing on the what if’s of the future and to start focusing on loving to the fullest today. In Jesus’ name, Amen

 

《あなたなしに、私は無です》

愛するイエス様。

あなたのご栄光と、あなたの希望で私を満たしてください。

あなたなしでは私は何もできず、

あなたがいれば、私はあなたのご計画の一部となれることを

覚えていられるようお助けください。

アーメン!

【訳者ひと言】 私が教えられたことは2つです。1つは、この汚れた心が、祈りによって、自分の何かではなく、“主の栄光と希望”で満たしていただくことができること。畏れ多いことですが、これは、信じる者には内住のキリストのみ霊がおられるゆえにできることです。2つ目は、「あなたなしでは何もできず」の対句は、普通は「あなたがいれば何でもできる」となるところを、「あなたの計画の一部となれる」と言っていることです。主は、私たち一人一人を通して、ご自身の栄光のために、大いなる救いのご計画を進められます。私たちは、主がどんなときも共にいてくださるので、そのご計画のほんの一部として、貴く用いていただけるのです。そして、私たちはあまりのも早く忘れてしまいますので(とりわけ加齢と共に!)、それを“覚えていられるよう”にもお助けを求める必要があるのですね。

Dear Jesus, please fill me with your glory and your hope. Help me to remember that without you I can do nothing, but with you I can be a part of your plan. Amen!

 

《恵みのみ座に近づかせてください》

愛する主よ、

今日 私は、恐れおののく心をもって、

あなたは聖く、私は汚れていることをしかと知りつつ、

畏敬と謙虚さのうちに、

あなたの恵みのみ座に近づきます。

あなたの栄光のすばらしさのゆえに、

私の打ちひしがれた心を回復させてください。

私の今日も、これからの日々も、

あなたに委ねることができるよう、どうかお助けください。

アーメン。

【解説】 祈りにおいて求められるのは、「神の聖さ」と「己の汚れ(罪)」の深い認識です。そのままでは、到底み前に出ることのできない者が、み子イエス・キリストのとりなしのゆえに、栄光のみ座に近づくことができるのです。

その時に、栄光の主のみ前に徹底してへりくだる者の破れた心を、神様はご自身の栄光のゆえに、癒やしてくださいます。そんな神様だからこそ、私たちは全幅の信頼をもって、私の今日も、明日もお任せできるのですね。

(ルカ 18:13,14) 「ところが、取税人は遠く離れて立ち、目を天に向けようともせず、自分の胸をたたいて言った。『神さま。こんな罪人の私をあわれんでください。』 あなたがたに言うが、この人が、義と認められて家に帰りました。パリサイ人ではありません。なぜなら、だれでも自分を高くする者は低くされ、自分を低くする者は高くされるからです。」

Dear Lord, with a trembling heart, I approach your throne of grace today in reverence and humility, fully aware that you are holy and I am not. May my brokenness be restored for the beauty of your glory. Please help me to trust you with my today and my tomorrows.

Amen.

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2019年

10月

17日

◆私の信仰&感謝宣言◆

◆マイ・バイブル◆

―私の信仰&感謝宣言―

 

1.私には、ほんの少しのかぐわしいティーと、

  満杯のイエス様があれば

  ほかには何も要りません。

【ひと言】 コーヒー派の方は、「ティー」を「コーヒー」に変えてどうぞ。

All I need is a little bit of sweet tea and a whole lot of Jesus.

 

2.神様は私の“最初の選択肢”です。“最後の手段”ではありません。

(マタイ 6:33) 「だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。」

God is my first priority, not my last resort.

 

3.神様は、何も道がないと思われるところに、道をつくられます。

【解説】これは言うまでもなく、道路のことではなく、人生の道ですね。行きどまり、大きな壁、八方ふさがり、…あなたが生きていくときに遭遇する様々な挫折と停滞の前に、祈りの中で、神様は道を開いてくださるのです。もう一つ、原文のno way(道がない)には、言葉の修辞があって、これには「あり得ない」という意味もあります。常識的に考えて、あり得ないようなことを、み心ひとつでやってくださる。―これが神様です。神のなさることは、私たちの「あり得ない」を超えているのです。

God will make a way when there seems to be no way.

 

4.あなたは、自分の望んだところにいないかもしれません。

  けれど、後ろを振り返り、

  自分がかつていたところにはいないことを知って、

  神様に感謝をささげることができるのです!

【解説】 不平不満を言い出したら、きりがありません。でも感謝を数えだしたら、ヨハネではありませんが、「もしそれらをいちいち書きしるすなら、世界も、書かれた書物を入れることができまい」(ヨハネ21:25)と思います。その中で、「もし救われていなかったら…」「あのまま、あそこにいたら…」と考えたときの感謝は、決して忘れてはいけないことです。あの十字架の救いがなかったら、現在の全ての祝福はなかったのですから――。

(エペソ2:12,13) 「そのころのあなたがたは、キリストから離れ、…この世にあって望みもなく、神もない人たちでした。しかし、以前は遠く離れていたあなたがたも、今ではキリスト・イエスの中にあることにより、キリストの血によって近い者とされたのです。」                                                                               

You may not be where you want to be… But you can look back and thank God you’re not where you used to be!

 

●どうでしょうか、この4つの信仰&感謝宣言、あなたも胸を張って言えますか?

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2019年

9月

04日

◆誤解してはならない神の真理3つ◆

《パートのクリスチャンはいけません》

神様に“フルタイム”でいてくれと要求する

“パートタイム”のクリスチャンになってはいけません。

【解説】 面白い言い方ですね。自分は、日曜の朝1時間のパートタイムクリスチャン。「でも神様、どんなときでも、24時間、フルタイムで私や家族を守ってください。」と祈る。―これは虫が良すぎるというものです。一日24時間、どこを切っても、そこに神様と自分の二人が共にいる。―この“金太郎飴クリスチャン”を目指しましょう。そこにこそ、神様の祝福がフルに降り注がれるのです!

Don’t be a part-time Christian who demands a full-time God.

 

《自由をはき違えないように》

本当のクリスチャンは、“罪からの自由”を切望します。

“自由に罪を犯す”ことをではありません。

【解説】 本当のクリスチャンというのは、自分自身の罪と、神様がみ子の十字架の死によってその罪を贖ってくださった恵みを本当に知っているクリスチャンです。「自分は神を信じている」と言いながら、自由に罪を犯すとすれば、その人は本当のクリスチャンではありません。神様の恵みとあわれみがどれほどのものかを知らず、その恵みを無にしているからです。

(ローマ6:1,2) 「それでは、どういうことになりますか。恵みが増し加わるために、私たちは罪の中にとどまるべきでしょうか。絶対にそんなことはありません。罪に対して死んだ私たちが、どうして、なおもその中に生きていられるでしょう。」

A true Christian desires to be free from sin, not to sin freely.

 

《生涯の伴侶は神に求めよう》

彼よりも、神様を愛する女性を見つけた男性(ひと)は幸いです。

そのような女性を待ち望み神様に求める男性を見つけた女性(ひと)は幸いです。

【解説】 これが聖書に示された結婚観です。この両者に共通しているのは、結婚相手よりも“神様第一”ということですね。結婚の祝福の源である神様を中心にした結婚観は、自分を全世界よりも愛してくれる人を探し求めるこの世の男女の結婚観を超えるのです。これは、現実にはなかなか得がたい、それだけに飛び切りすばらしい神様の祝福です。言うなれば、「山上の教え 結婚版」というところでしょうか。

Blessed is the man who finds a girl that loves God more than him, and blessed is the girl who finds a man that waits for her and asks for her from God.

 

【FBギャラリー】No.80 アルバート・リンチ「花摘み」

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2019年

7月

16日

◆人生の究極の拠りどころ◆

《聖書》

この本は、あなたの人生を変えます。

でも、あなたはそれを読まなければなりません。

The Bible: This book will change your life… But you have to read it.

 

《信仰》

―もうひと踏ん張り―

諦めずに踏みとどまりなさい。 

神様が向かってるから!

Hang in there. He’s on the way!

 

《祈り》

私は、

“他に行く場所がない”という圧倒的な確信によって、

幾度もみ前にひざまずいてきた。

~アブラハム・リンカン~

【解説】リンカンの“敗北の生涯”とも言えるような波乱の一生を知ると、この言葉がウソでも誇張でもないことがよく分かります。神様以外に何か頼るものがあるうちは、その人は信仰も、神も、何も分かっていない。「主よ、あなた以外にありません!」という悲痛な叫びをあげて初めて、人は神のみ懐に飛び込んでいけるのです。そのときに、神様は大いなることをなさいます。まず自分自身に絶望することです。それが、まことの神信頼の生涯の始まりなのです。

I have been many times upon my knees by the overwhelming conviction that I had nowhere else to go. – Abraham Lincoln

 

【FBギャラリー】No.63 エリーナ・シュミロヴァ 「霧の中の少年」

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2019年

6月

08日

◆神の中に生きる◆

1. 《神は“祈り”の距離にいる》

あなたが、どんなに孤独だと思おうと、

神様は、ほんの“祈り”の距離におられます。

【解説】 「祈りの距離」、どのくらいでしょう? もうこれはミリ以下ですね。つまり、いつ、どこであれ、“祈るところ、神あり”なのです。あなたは、祈る限り、ゼッタイに孤独にはなれないのです!

No matter how alone you think you are, God is always just a prayer away.

 

2. 《どこを見ても神が共に》

ルックバック(過去): 振り返って、神に感謝なさい。

ルックフォワード(未来): 前を見て、神に信頼なさい。

ルックアラウンド(現在・周囲): 周りを見て、神に仕えなさい。

ルックウィジン(現在・内部): 心の中を見て、神を招き入れなさい。

Look back and thank God. Look forwared and trust God. Look around and serve God.

Look within and invite God.

 

3. 《神はとことん世話を焼く!》

もし神様があなたをそこに導いたのなら、

必ずそこを通り抜けさせてくださいます。

If God brings you to it; He will bring you through.

 

(使徒の働き 17:28)

「私たちは、神の中に生き、動き、また存在しているのです。」

 

【FBギャラリー】No.52 チャールズ・バートン・バーバー「さあグレイス(食事の感謝)よ」

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2019年

5月

14日

◆聖書が語る かくもシンプルな信仰!◆

1. 《罪》 罪は眠らない。どんなときも、武装して立ちなさい。

【解説】 先日ご紹介した詩篇121篇のように、神様は私たちのために眠りませんが、サタンも眠らないのです! 隙あらばと四六時中、虎視眈々です。エペソ6章の完全武装が必要なのです!

(Ⅰペテロ5:8)「身を慎み、目をさましていなさい。あなたがたの敵である悪魔が、ほえたける獅子のように、食い尽くすべきものを捜し求めながら、歩き回っています。」

Sin does not sleep. Always stand guard.

 

2. 《救いの最短定義!》 イエスは死なれた。私は生きる。

【解説】 これはもう、そらんじて、“クリスチャン念仏”(!)のように唱えるべきですね。この短い言葉は、二つの真理を教えてくれます。一つは、“イエスの死”と“私の生”の【因果関係】です。人は、その罪の身代わりに神のみ子が死んでくださったことによって、自らの罪のゆえに死ぬことなく、永遠の命に生きることができるのですね。もう一つは、“イエスの死”と“私の生”の【目的】です。キリストは誰のために死なれ、あなたは誰のために生きるのか? これはみ言葉から確認しましょう。

(Ⅱコリント5:15)

「キリストがすべての人のために死なれたのは、生きている人々が、もはや自分のためにではなく、自分のために死んでよみがえった方のために生きるためなのです。」

Jesus died. We live.

 

3. 《神がいない場所はない》 

あなたが、“ここには誰もいない”と思うときにも、

神は常におられる。

【解説】 詩篇の記者が、感嘆して記したとおりです(139:7-10他)。逆に、無神論の宇宙飛行士が、広大な宇宙のただなかで「神はいなかった」と言ったとしても、そこに神はおられたのです。この言葉は、人目を盗んで悪事を働く者には恐るべき警告の言葉であり、孤独の淵に沈む者にとっては、他のどんな慰めにも勝る、生きる力となりますね。もちろん、私にとっても…。

(詩篇139:7-10)

私はあなたの御霊から離れて、どこへ行けましょう。私はあなたの御前を離れて、どこへのがれましょう。

たとい、私が天に上っても、そこにあなたはおられ、私がよみに床を設けても、そこにあなたはおられます。私が暁の翼をかって、海の果てに住んでも、

そこでも、あなたの御手が私を導き、あなたの右の手が私を捕らえます。

God is always there when you think no one else is.

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2019年

4月

17日

◆信仰を生活に生かすための5つのキモ◆

1. 《教会生活を大切に》 “偽善者がいるから”という理由で教会に行かないのは、“体型の崩れた人間がいるから”と言ってジムに行かないのと同じである。

【解説】 これ、単純に笑えますね。でも、私たちが教会に行きたくないと思うときは、よく考えれば、まさにこの“笑える”理由からのことがあるのです。教会に行かない理由を挙げだしたら、ごまんとあるでしょう。でもそこに共通しているのは、“外から批判”です。自分を教会の外において、批判的な目で、教会に来ている人たちを見ているのです。そこに欠けているのは、“教会はキリストの体であり、自分もその肢体の一部なのだ”という、大切な聖書の真理です。神の教会と言えども、“完全無欠”な人は、この地上にはただの一人もいないのです。あなたや私に必要なのは、“内から目線”です。キリストの体の内側から、しかもまず自分の心の内側に、「私はどうなの?」と問い、そこで神様に示されたら、「なら自分はどうすればいいの?」と問うてみること。私たちが目指す、たとえ“不完全”でも”健全な”教会は、そこからしかつくり上げることはできないのです。

(エペソ1:23)

「教会はキリストのからだであり、いっさいのものをいっさいのものによって満たす方の満ちておられるところです。」

(ヘブル10:25)

「ある人々のように、いっしょに集まることをやめたりしないで、かえって励まし合い、かの日が近づいているのを見て、ますますそうしようではありませんか。」

Not going to church because of hypocrites is like not going to the gym because of out of shape people.

 

2. 《嫉妬心の根を断て》 

“嫉妬”は、

自分自身の恵みではなく、

他者の恵みを数えるところから生まれる。

【解説】 これは至言ですね。「なるほど、そうだ!」と思われた方は(まず私を筆頭に!)、一日に一度は、そしてこの嫉妬心に捉われそうになる都度、聖歌604♬「望みも消えゆくまでに」を口ずさみ、詩篇103:2を声に出して唱えませんか?

(詩篇 103:2)

「わがたましいよ。主をほめたたえよ。主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな。」

Jealousy comes from counting others’ blessings instead of our own.

 

3. 《生活規準は“恵み”か、“完全”か》

私は、自分自身を、“完全”の規準ではなく、“恵み”の規準のもとにとどめ続ける。

【解説】 これは、全てのクリスチャンが、神と人の前になすべき大宣言ですね。“完全”は、限りなき“自己志向”であり、己の力によって上を目指す、信仰を装った“自己鍛錬”であり、悪しき“律法主義”です。“恵み”は、絶えずキリストの十字架のもとに自我を明け渡し、上よりの恵みの力によって生かされていく道です。ここで間違えてならないのは、イエス様は、確かに「あなたがたは、天の父が完全なように、完全でありなさい」と言われましたが(マタイ5:48)、それは「心の貧しい者は幸いである」という山上の教えの文脈の中で言われたもので、キリストが、父なる神のみ心に従ってなされた良き業を私たちも行えるように、心を貧しくし、へりくだって、主のみ力に寄りすがりなさいということで、己の力に依り頼む“肉の完全”とは、似て非なるものだということです。この大宣言、しっかりと心に刻んでくださいね。信仰生活のあらゆる祝福は、この一事にあるのですから――。

I will hold myself to a standard of Grace not Perfection.

 

4. 《思い煩わない秘訣とは?》

どんなことにも思い煩わないただ一つの道は、

全てのことについて祈ることです。

【解説】 この原語にも、簡にして妙を得た言葉の修辞があります。nothing ナッシング(どんなこと)とeverythingエヴリシング(全てのこと)の対比です。誰もが経験していることですが、“思い煩い”に目を向けて、それをなくそうなくそうと思っても、決してなくなりません。むしろ、また新たな思い煩いが浮かんできます。“悪しきもの”から解放されるには、目を“良きもの”に転じるしかないのです。それが唯一の道、“祈り”です。

(ピリピ 4:6)

「何も思い煩わないで、あらゆる場合に、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。そうすれば、人のすべての考えにまさる神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます。」

The only way to worry about nothing is to pray about everything.

 

5. 《一日はこのように始める》

今日、神に感謝した事柄だけを胸に

明日の朝、目覚めたとしたら、

どんなだろう…?

【解説】 ほんとに、このような目覚めを毎朝迎えられたら、どんなにすばらしいことでしょう! まず、そんな自分を想像してください。そして、そうなれるように神様にお願いするのです。そのためになすべきことは、今日の一日を、感謝で終えられるように、大切に生きることです。明日の祝福の目覚めのために、今日を恵みのうちに生きるのです。これがクリスチャンの“祝福のライフスタイル”です。どうぞ今晩、そして明日の夜も、そして願わくは地上を去るその日まで、“この日の恵み”を数えつつ眠りに就かれますように――。

What if you woke up tomorrow with only the things you thanked God for today? 

 

【FBギャラリー】 ジム・デイリー 「追憶 - ママの聖書物語」

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2019年

2月

01日

◆より身近に神を知るための6か条◆

1.《相手が神なら傷つけていいのですか?》 

私たちの社会は、他人(ひと)を傷つける可能性のあるものは、なんとしても避けようと躍起になる。相手が誰であれ、“神”以外の人なら――。~ビリー・グラハム~

【解説】これは、故ビリー・グラハム博士の、現代人への痛切な皮肉ですね。いつの世もそうであったかもしれませんが、とりわけ現代人は、小さな子どもから大人まで、相手の内面に深入りせず、自分にもしっかり境界線を設けて、表面的な人間関係の中に生きています。ひたすら人を傷つけないように、自分が傷つかないように、全神経を使っているのです。けれど、“神様”に対しては、「神なんかいない。この科学万能の時代に、そんな目に見えないものを信じてどうする? 神なんて、弱い者がすがるために、頭の中で考えた便利な虚像だよ」と不信仰を公言し、創造者を傷つけ、おとしめているのです。まさにそこから、あらゆる社会問題、人間関係の破れが生じていることにも気づかずに――。

Our society strives to avoid any possibility of offending anyone except God. – Billy Graham

 

2.《人生の嵐にも目的が》

神様は、ただあなたをぬかるみの中に打ち倒すために、“嵐”の中を通らせるのではありません。時として、神様は嵐を鎮められます(calmカーム)。でも時として、神は嵐をたけり狂わせ、ご自身の子どもたちを落ち着かせて(calmカーム)くださるのです。

【解説】 これを読むと、私たちはあのガリラヤ湖の嵐の中での、イエス様と弟子たちを思い起こしますね。あの時、主は嵐が起こるのをお許しになりました。それは舟が沈みそうになるほど激しいもので、嵐には慣れているはずの弟子たちでさえ恐怖に襲われました。その弟子たちの不信仰を叱られた主は、ひと声で嵐を鎮められたのです(マルコ4:35-41)。♬人生の海の嵐に、わたしたちも時として揉まれますが、私たちは、”この嵐にも、きっと神様の目的がある。そしてどんなにたけり狂っても、主が一緒にいてくださり、必ず鎮めてくださるのだ”という信仰をもって、この嵐を通り抜けましょう。

God didn’t bring you through the storm just to drop you in a puddle. Sometimes God calms the storm… Sometimes He lets the storm rage and calms His child.

 

3.《問題の修復には、ダクトテープか、それとも釘か?》

人は、問題を“ダクトテープ”で修復しようとします。

神様は、それを“釘”でなさったのです。

【解説】 この短い文章を読んで、「そうなんだ!」とすぐ分かった人は、神様の救いのみ業をよく分かっている人です。「ダクト(配管)テープ」、強力な粘着力を持つシルバーグレーのクロステープで、読んで字のごとく、配管工事や家屋の修繕に用いられます。しかし神様は、その代わりに「釘」を用いられました。それも、最も痛みを伴う方法で、2本(あるいは両足を重ねて貫いた1本を加えて3本)の太い釘で――。この文章は、もちろん分かりやすい例えで、“ダクトテープ”は、いろいろな学習、精神修業など、人間関係の“破れ”を修復するために効果のありそうな、様々な人間的手段を指します。でも、それは根本的な解決にはなりません。どこかからまたも水は漏れ、遂には破綻をきたします。なぜでしょうか? 人の全ての問題の根底には、自己中心の”罪”が潜んでいるからです。それを解決するためには、罪のない神のみ子が、私たちの代わりに、十字架に釘づけられて、私たちの罪を負ってくださらなければならなかったのです。「私の、この問題の解決には、あの“釘”が要る。み子と共に、私もこの自我を、十字架に釘づけなければならないのだ!」――私たちは、一人の例外もなく、そのことに気づかなければなりません。

(ガラテヤ2:20) 「私はキリストとともに十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。いま私が肉にあって生きているのは、私を愛し私のためにご自身をお捨てになった神の御子を信じる信仰によっているのです。

Men try to fix problems with duct tape. God did it with nails.

 

4.《自分の手に負えないことで、ストレスを負うな》

私は、自分がコントロールすることも変えることもできないことで、自分にストレスを抱え込むことはしません。神様は、私たちの手に負えるものを、お与えになるのではありません。私たちが、与えられたものをうまく取り扱うために、助けてくださるのです。

【解説】 土台自分にはどうすることもできないと分かっていることを、「なんとかしなきゃ」と、あれこれ思い悩んでストレスになってしまう。その愚かさを表す格好の言葉は、“愚の骨頂”ですが、そうと知りつついつの間にか抱え込んで要らざる苦しみを味わうのが、人間の弱さです。それは、自分に重荷を抱え込むところに原因があります。重荷を下ろす相手を間違えているのです。神に頼りなさい。神様は、時として、途方もなく大きな課題をお与えになることがありますが、そのときには、「さあ、あなたを助けてあげる。だからあなたに、これを与えたのだ」とおっしゃるみ声を、決して聞き逃してはなりません。

(マタイ 11:28-30) 「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」

I will not stress myself out about things I can’t control or change. God doesn’t give us what we can handle, God helps us handle what we are given.

 

5.《お金も時間も未来も約束できないものを》

“お金”は言います。「私を得なさい。他はみんな忘れちゃうこと。」

“時間”は言います。「遅れないでついてきなさい。他はみんな忘れちゃうこと。」

“未来”は言います。「私をモノにしたきゃ、死ぬ気で頑張りなさい。他はみんな忘れちゃうこと。」

神様は、単純明快にこう言われます。「ただ私をいつも覚えていなさい。あなたに全てを与えるから。」

【解説】 “ただいつも神様を覚えている”。これは、言葉を変えれば、この世の全ての成功のカギと思われるものより先に、いつも“神様を第一にする”ということです。そのときに約束された主のみ言葉を聞きましょう。

(マタイ 6:33) 「だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。」

Money says: Earn me, forget everything. Time says: Follow me, forget everything. Future says: Struggle for me, forget everything. God simply says: Just remember me, I’ll give you everything.

 

6.《あなたの創り主からのメッセージを聞こう》

私はここにいる。

私はあなたを愛している。

もしあなたが一晩中起きて泣かなければいけないようなときも、私はうろたえない。私があなたと共にいる。あなたがしたことで、私の愛を失ってしまうことなど、何一つないのだ。

私は、あなたが死ぬまで、あなたを守る。あなたが死んだあとでさえ、私はあなたを守ってあげる。

私は、“鬱(うつ)”よりも強い。私は、“孤独”よりも勇敢だ。そして誰も私を“疲労困憊”させることなどできないのだよ。

~神より~

【解説】 私たちが、“より身近に”神様を知ることができるように、作者は思いっきり人間的に、神様のメッセージを語らせました。でもこれは、決して作者の想像の産物ではありません。これは、聖書全体を深く読み込んで、み霊の導きのもとに生み出されたメッセージ、創造者からの“愛のメッセージ”なのです。よかったら、次のみ言葉を読んだあとで、もう一度、”あなたへの”メッセージとして、声に出した読んでみませんか?

(イザヤ 43:4,46:4) 「わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。…あなたがたが年をとっても、わたしは同じようにする。あなたがたがしらがになっても、わたしは背負う。わたしはそうしてきたのだ。なお、わたしは運ぼう。わたしは背負って、救い出そう。」

(ヨハネ 15:9) 「父がわたしを愛されたように、わたしもあなたがたを愛しました。わたしの愛の中にとどまりなさい。」

I’m here. I love you. I don’t care if you need to stay up crying all night long. I will stay with you. There’s nothing you can ever do to lose my love. I will protect you until you die, and after your death I will still protect you. I am stronger than depression and I am braver than loneliness and nothing will ever exhaust me. – God

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2019年

1月

14日

◆人生: 信仰と祈りに生きる4か条◆

1. 《人生が真に始まるとき》 

イエス様が

あなたの生きる理由になったときに、

人生は、

始まるのです。

【解説】 人は、肉体的には、母の胎から誕生した時に生まれ、霊的には、イエス・キリストを信じてバプテスマ(洗礼)を受けたときに、”新生”、新しく生まれます。でも、私たちの本当の人生は、”イエス様”が全ての全て―このお方のために生き、このお方のために死ぬものとなったときに、始まるのです。

主イエスは、あなたにとって、“生きる理由”になっていますか?

(ローマ14:8)

「もし生きるなら、主のために生き、もし死ぬなら、主のために死ぬのです。ですから、生きるにしても、死ぬにしても、私たちは主のものです。」

(ピリピ 1:21)

「私にとっては、生きることはキリスト、死ぬことも益です。」

Life begins once Jesus becomes the reason you live it.

 

2. 《問題あるところ、祈りあり》

もしあなたの問題が終わらないなら、

祈りも やめてはなりません。

【解説】 問題のない人生はありません。あなた自身の問題、家族の問題、教会の問題、勤務先の問題…、死の間際まで、問題は付きまといます。問題に対する私たちの対処方法は、何をおいても祈りです。だとすれば、私たちの祈りもまた、決してやめてはいけません。”問題”と”祈り”は、表裏一体、コインの両側なのです。

If your problems haven’t stopped, neither should your prayers.

 

3. 《信仰が知る未来とは》

信仰とは、

未来に“何が”あるかではなく、

“誰が”未来を握っておられるかを

知ることです。

【解説】 ♬明日は私にはわからないけど

明日を守られるイェスがおられる♬ 訳しながら、思わずこの「明日を守られるイエス様」を口ずさんでいました。一瞬先も、私たちには分かりません。でも、私たちの髪の毛1本が落ちるのもご存じの主が、いつも私たちの先を行かれ、時に後ろを押してくださり、時に脇に立たれ、時に背負ってくださり、時に手招きをしてくださりながら、人生の目的地に、間違いなく導いてくださるのです。

”私の明日は、主がそのみ手に握っておられる“―これを信じて今日を生きるのが信仰です。

Faith is not knowing what the future holds, but knowing who holds the future.

 

4.《人が何をしても神様は…》

人はあなたを傷つけますが、神様はあなたを癒やします。

人はあなたを辱めますが、神様はあなたを高めます。

人はあなたを裁きますが、神様はあなたを義とします。

信仰を持ちなさい。

【解説】 原語では、第1節の「傷つける」と「癒やす」にhurtハートと healヒール、第3節の「裁く」と「義とする」にjudge ジャッジとjustifyジャスティファイを用いて、文学的修辞を施しています。

私たちの人生は、24時間、<人と私><神と私>の関係の中で成り立っていますが、この世の人々は、しばしば私たちを「傷つけ、辱め、裁き」ます。しかし全てをご存じの神様は、そのたびに、愛する者を「癒やし、高め、義として」くださるのです。それを信じられなかったら、この厳しい人生を、人は生きてはいけません。多くの人々が、この人間関係の重圧に耐えきれずに挫折し、人間不信に陥り、自ら命を絶っていきます。でも私たちには、この神様が―十字架の上で全ての重荷を負ってくださったイエス様がおられます! だから私たちも生きていけるのです。今日も、しっかりと、このお方に信仰のフォーカスを当てましょう。”信仰を持ちなさい。“

(ヨハネ 14:19) 「わたしが生きるので、あなたがたも生きるからです。」

People will hurt you, God will heal you. People will humiliate you, God will magnify you. People will judge you, God will justify you. Have faith.

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2018年

12月

25日

◆キリスト者が、ともかく祈る3つの理由(わけ)◆

1.《諦めないで祈るワケ》 根気強く(しつこく!)祈ることが大切なのは、そうすれば神様が聴いてくださるからではなく、あなたが、ついには神様のみ声を聴けるからです。

The value of persistent prayer is not that He will hear us, but that we finally hear Him.

 

2.《過ちを犯しても祈るワケ》 あなたが犯してしまったどんな“過ち”よりも、神様の“あわれみ”は常に大きいのです。God’s mercy is bigger than any mistake that you’ve made.

 

3.《欲しいものがなくても祈るワケ》 祈りなさい。あなたが何かが“必要”だからだけではなく、あなたには、“感謝”すべきことが山ほどあるからです。

Pray, not only because you need something, but because you have a lot to be thankful for.

 

(Ⅰテサロニケ 5:16-18) 「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。」

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2018年

12月

03日

◆単純で大胆な祈りこそ◆

“神への信仰”が、全てを変えるのです。

Faith in God changes everything.

 

私には、“大きな奇跡”を起こす

“大きな神様”がいます。

I have a big God that can do big miracles.

 

あなたの祈りが

たとえどんなに小さく囁くようなものでも、

神様は確かに聴き、お分かりになり、

あなたが心にしまっている望みや恐れを

知ってくださいます。

そしてあなたが“このお方に信頼する”とき、

奇跡は起こるのです。

No matter how softly you whisper a prayer, God surely listens, understands and knows the hopes and fears you keep in your hearts… And when you trust Him, miracles happen.

 

【解説】はいこれ、奇跡を目の当たりにできる、単純で大胆な信仰の祈りの三段論法ですね。

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2018年

11月

14日

◆主よ、忍耐を与えてください◆

愛する主よ、

あなたのご計画を、私の人生の中で

ことごとく成し遂げてくださるまで、

私に忍耐することを教えてください。

それは、あなたなしにはできないことです。

 

【解説】 全知全能の神様は、私たち一人一人に対するご計画を、私たちが形づくられる前から、“永遠の今”において、全て立て終えておられます。それを、目の前のスクリーンに、一目で分かるようにプレゼンしてくださったら、どんなにいいでしょう! でもそれは神様の方法ではありません。そもそもそんな人生は、恐ろしく退屈で、つまらないものに違いありません。私たちは、明日が分からないからこそ、不安がある半面、“きっといいことがある”と期待して毎日を歩めるのです。でも時として私たちは、それまでにない新しい局面を迎えることがあります。あなたの人生への神様の設計図には、山もあれば谷もあるのです。とりわけ“暗い谷間”に下っていくとき、私たちは不安と恐れに駆られます。「どこまで続くんだろう?」「これは本当に神様のご計画なんだろうか?」「もっと別の道があるんじゃないのかしら?」 そして、待ちきれずに、自分で良しと決めた別の道に突き進んでしまうこともあります。私自身が、その体験をしました。「これは主のご計画だ」と早合点して、み言葉からの確信や、信仰の友や師の助けを仰ぐことなく、いえ、その助言を無視さえして、暗闇の中を模索し続け、とうとう“これは神様のご計画ではなかった”とはっきり分かるまで、3年もかかりました! でも神様は、あわれみ深いお方です。”脱出の道”を備えていてくださったのです。

私たちに最善の道を歩ませるための神様のご計画は、神様のお助けと導きなしには、絶対に実現することはできません。このことを通して私が教えられたのは、次のことでした。

① 人生の新しい局面に立たされたときは、まず静まって祈ること。み言葉をよく読み、信頼できる師や友に相談し、祈っていただくこと。

② そして内なる確信が与えられるまで、静かに待つこと。決して焦ってはいけません。それは時には長くかかるかもしれません。でも忍耐して待ちましょう。ここで「さぁ、これこそ神のみ心だ。今すぐやってみなさい」とささやくのは、これでイエス様をさえ陥れようとしたサタンの、“とっておきテクニック”です。

③ やがて神様のみ心が、はっきりと示される時が来ます。それは、しばしば、あなたの思い描いたものとは違う場合があるかもしれません。でも、そこに平安と、内よりの揺るがない静かな“促し”があるとき、あなたは全てを委ねて一歩を踏み出すことができます。次の一歩は主ご自身が導かれます。あなたの前に、“主のご計画の道”は、間違いなく開かれるのです。

 

(ヘブル 10:36)

「あなたがたが神のみこころを行って、約束のものを手に入れるために必要なのは忍耐です。」

 

Dear Lord, help me to be patient as you bring your plan in my life

to its fullness. I can’t do this without you.

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